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Episode No.306(990819):鼠は死して・・・

長い人生の中で、その人間が確かに「いた」ということを証明する時間は案外短いモノだ。

どんな偉人であっても、その偉業を成し遂げたのは時間で言えば、半年とか、1年・・・人生の長さから見れば「一瞬」であることが少なくない。

もちろん中には「長きにわたり」慈善活動などに尽くした功績が認められて、歴史に名を成した人も多いし、たとえ語り継がれる実績を上げた期間は短くとも、そこに到達するために人生のすべてを使っていた人も多いことだろう。

まぁ、そう考えていくと、やはり「一概には言えない」というコトになってしまうんだけれど・・・。

今日、ご紹介するこの男の場合、後の世に語り継がれた部分は、人生後半のわずか10年足らず。
一生のうちのわずか4分の1の時間に過ぎない。

男の名前は、次郎吉。
賭博で身を持ち崩し、借金に追われたあげく、武家屋敷に泥棒に入ったのが27歳の時。

そう、時代劇で知られる通称「鼠小僧」は実在の人物だった。

悪代官や悪徳商人から金を盗み出しては貧しい者に配って、義賊の代名詞となった鼠小僧だが、実際にどれだけ貧しい者に貢献したのかは定かではない。

おそらくは、後に講談や芝居のモデルとなって、作られた部分のかなり多かっただろうと推察される。
清水次郎長石松のように、ね。

但し、江戸八百八町を舞台に100カ所以上の武家屋敷を荒らした大泥棒だったというのは確かなようで、最後はとうとうお縄となった。

今は首都高速が走っている鈴ケ森にあった刑場で処刑されたのが、今からちょうど167年前の今日、1832年8月19日のこと。
次郎吉、36歳であった。

昔、その鼠小僧の墓というのを実際に見に行ったことがある。
確か、南千住にあった寺で江戸時代に刑死した者の墓ばかりあった・・・と記憶していたが、あらためて調べてみると鼠小僧次郎吉の墓と言われるものだけで、都内に2カ所、小田原に1カ所あった。

南千住のほか、都内には両国の観光の名所ともなっている回向院にも鼠小僧次郎吉の墓がある。
実際に分骨されているのかどうかはわからないが、何かしらのいきさつがあって、どの墓も全部本物だとは思うけど・・・。

やけくそで泥棒になった次郎吉が刑死した後、こんなに有名人になって、墓が観光名所になるなんて・・・本人は思いもよらなかったに違いない。

最も一番トクをしのは次郎吉本人ではなく、鼠小僧の話を売り出した講談師や物書きだっただろう・・・けどね。
次郎吉という男がいたおかげで、人生最高の時期を手にした芸人も少なくないだろう。


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊 ほか

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