Episode No.883(20010625):生き残るミッション

30代も終わりに近づくと・・・
営業でもやっていない限り、仕事仲間も、だんだん固定化してきて
新しい人と出逢う場面が少なくなってくるモンだけど

ネットを通じて新しい人たちと出逢う場面が急激に増え
おかげさまで刺激的な毎日を送らせてもらっている。

ところが一番困るのが・・・こういう質問をされた時。

「・・・で、お仕事は何なんですか?」

細かい仕事が多いので、ひと口で言うのはとても難しい。
そこで普段は「広告関係ですよ」と答えることにしている。

広告関係・・・これも実は、ずいぶん漠然とした言い方で
おもに印刷物を作っていることは確かなのだが、印刷ブローカーというわけでもない。

大きな会社なら
プランニング、コピーライティング、デザイン、ディレクションなど部署が分かれているけど
小さい会社の場合は、何でもやらなければならない。

つまり・・・
良く言えば「オールマイティ」だが、悪く言えば「専門がない」。
専門がないので・・・説明しにくい、というワケだ。

明治中期の話だから・・・もう100年以上昔。
東京には鉄道馬車と呼ばれる乗り物が走っていた。

都電・・・と言っても知らない人も多いと思うけど
電車の動力が電気じゃなくて、馬なのが鉄道馬車という感じ。
ただの馬車と違うのはレールの上を走っていた・・・という点だ。

その鉄道馬車が、新橋〜日本橋間で開業したのが
今から119年前の明治15=1882年の今日、6月25日だった。

鉄道馬車の定員は24〜27名。
人気は上々だったが、これに猛反対をした人たちもいる。
人力車の車夫たちだ。

失業の恐れを感じた車夫たちは組織を作り、積極的な反対運動に乗り出した。
中には実力行使で鉄道馬車の往来を妨害した者までいた。

人力車の車夫たちの努力が、その後どうなったのかは・・・言うまでもない
しかし、宿敵・鉄道馬車だって・・・今は影も形もない。

それしかできないと言い切ることのできる専門を持っている人は確かに強い。
だけど、組織の上の方の人たちにとって
専門分野のことだけしか考えない人って、すごく使いやすいんだよね。

どちらを選ぶにしても、確実ということはないから・・・それは賭け。
賭けに破れると借金を背負うのは当然のことだ。

自分がどっちに向いてるか・・・ということは、もちろん大切だけど
本当に重要なのは、自分をこの世の中で、どう活かすか・・・ってことじゃないかと思う。

いくら向いていたって・・・その職業が成り立たなきゃ、食っていけない。
まともに食えなくなると・・・
や理想どころか、考えることでさえ嫌になっちゃうから、ね。

私自身としては・・・食えてるうちに、次を考えるのが仕事。


参考資料:「歴史の意外なネタ366日」中江克己=著 PHP文庫=刊