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Episode No.677(20001027):最終予選段階

1830年8月4日、現在の山口県萩市に生まれた男が・・・
今から141年前の今日・・・1859年10月27日、東京で刑死した。

わずか30年の生涯しか持たなかった男の名は・・・吉田松陰である。

生まれ故郷で兵学を学んでいた時代・・・約20年(約66%)
九州、江戸、東北を遊学していた時代・・・約8年(約27%)
そして、獄から出て松下村塾を開いた時代・・・約2年(約7%)

松蔭の人生を大きく3つの時代に分けると、おおよそカッコ内の構成比になる。

現代の私たちが「現役」として活躍できる時間を60年とみると・・・
ちょうど松蔭の人生の倍はあるワケだから・・・

40歳までは学び、40代に入ってから56歳くらいまでは動きまわり・・・
残りの4年で後継者づくりをする・・・という感じになる。

40までは学ぶ時間・・・という点について考えると共通したイメージは他の偉人にも見られる。

例えば、ヘンリー・フォード
「40歳までは自己投資の時代。金を貯めるのは40過ぎてから」
というような意味合いのコトを言っているし・・・

本田宗一郎も、ホンダを作ったのは40代に入ってから・・・

阪急の創始者、小林一三が、新ビジネス・・・宝塚歌劇団の前身を作ったのも40歳の時。

松下幸之助が家庭内手工業に近かった会社を株式会社に改組したのは41歳の時だ。

20そこそこで学校を出て、そこから社会人としての勉強がはじまる。
ひととおり仕事の仕方を覚えるのに約10年・・・
この間、サラリーはもらっていても実際には「言われたコト」をやるのが精一杯・・・いわばお手伝い。
その後の約10年で「自分の仕事」挑戦する・・・これもまだ試作段階のようなモノで試行錯誤の連続。
ようやく「本職」を見い出し・・・発展させる時代のは40代になってから・・・というコトなのかな。

そこからが、いよいよ後世に残せる仕事ができるかどうか・・・という段階になる。
無論、それまでボーッとしていたのでは・・・
ただ歳をとったからって、いきなりできるモノではないが。

そんなコトを考えながら・・・過ごす30代は緊張感がみなぎる。

なぜなら、20代はイヤでも強制的に勉強させられるが・・・
30代は自分で意識しないと勉強できないからだ。

結婚したり、子供が産まれたり・・・少しは部下もできたり
忙しぶって新しいコトをしないようにすれば、言い訳はいくらでもできる年代に入るしね。

しかし・・・少なくとも「自分の理想」を成しえた人たちを見る限り
30代のうちに自分を鍛え直しておかないと、絶対「理想」はつかめない。

30代は・・・「自分の理想」をつかむためのレースに出る予選みたいな年代だな。
各年代も無論、次への予選には違いないんだけど・・・
私は今の自分の年齢を考えて・・・強く、そう思う。


参考資料:「歴史の意外なネタ366日」中江克己=著 PHP文庫=刊
     「21世紀ごども人物館」小学館=刊 ほか