Episode No.577(20000703):手のひらにロマンを うちのオヤジは静岡の出身だ。 おじいちゃん、おばあちゃんが健在の頃には、夏休みになると親戚一同が静岡に交いした。 私も小学生くらいの時には、よく一週間くらい叔父さんの家に厄介になって・・・。 従兄弟たちといっしょにホタルを見に出かけたりした。 残念ながら今では、その場所にもマンションが建って・・・もうホタルの姿はない。 30年くらい前の今頃は、目前にせまった夏休みに心をときめかせていたモノだ。 さて、静岡といえばお茶。 もともと水がいい土地なので、お茶畑は多い方だったが・・・。 お茶畑の拡大をはかった男の話については、以前もここでご紹介した。 お茶と並んで全国でも指折りの産業が静岡にはある。 それは・・・模型。 大手模型メーカーは静岡に集中しており、全国シェアの70%を占めているという。 なぜ、それだけ多くのメーカーが静岡にあるのか? それもお茶と同様・・・実は水に関係している。 今でこそ模型といえばプラスチックが中心だが・・・かつての素材は木材。 水のいい静岡では加工しやすい良質の木曾材が豊富に採れたので、材木屋から転じた模型屋が多かった。 ミリタリー模型では世界的に知られ、ミニ四駆ブームも起こした田宮模型(現・株式会社タミヤ)もそのひとつ。 つい先日、その田宮俊作社長が書いた『田宮模型の仕事』という本を読んだ。 ここには中小企業のドラマチックな生き様がみごとに描かれている。 私のような模型好きはもちろん、決して模型好きでなくても充分に引き込まれてしまう世界が、そこにはあった。 復興景気を当て込んで現・田宮社長の父親は製材業をはじめた。 しかし、その事務所と作業場は火災に遭い、莫大な借金を抱えるコトになってしまう。 東京の大学に進んだ俊作は仕送りも望めず・・・東京にある元の取引会社へ売掛金の回収をして生活を立てる毎日。 体の弱い母親は、そんな息子を心配して時折まとまった金を送ったが・・・それは、自分の持病である貧血を治す薬のための金だった。 俊作は、どうにか大学卒業にこぎつけたが・・・ついに母親が倒れる。 手遅れの白血病・・・機しくも俊作の卒業式の日は、母の葬儀の日となってしまう。 卒業後、静岡に戻って父親の会社を手伝いはじめる俊作。 その頃、もう製材業という大きな商売はできなくなっていた会社は、商売を木工模型一本絞っていた。 ベテランの職人たちとの葛藤の中、俊作はひたすら自分が理想とするスケールモデルの実現をめざす。 そして、ついに熟練の腕を借りずに大量生産ができる木工工作機械の開発に成功! いよいよ、これから巻き返し・・・という時にアメリカから入ってきたのがプラモデルだった。 まるで映画でも観ているような展開に思わず息を飲んでしまう。 田宮俊作社長の「好きこそモノの上手なれ」は、本田宗一郎や盛田昭夫にも決して引けを取らない。 やっぱり、こういう人たちが・・・「世界の日本」を作ってきたんだ、な。
参考資料:「田宮模型の仕事」田宮俊作=著 文芸春秋=刊
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