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Episode No.383(991117):三つ子の魂

今日11月17日は、本田宗一郎の誕生日だ。

かの大実業家、本田宗一郎も今から93年前の明治39年の今日は、ようやくヘソの緒がとれて、フガフガと泣きわめいては母親の乳を探していたコトだろう。

当然のコトながら、どんな大人物にもこんな赤ん坊の時代はある。
その後の行く末を決めるのは、いったい何なんだろう・・・?

本田宗一郎が"井深のアニキ"と敬愛した
ソニーの創始者、井深 大は、幼児教育に造詣が深いコトでも知られている。
井深の幼児教育論から言えば、幼児期の体験は、その人の考え方や生き方に大きな影響を及ぼす・・・ことに3歳までの体験が大事だと言うから、まさに
三つ子の魂百まで、である。

今でこそ日本を代表する世界企業ホンダとソニー。
本田と井深は、それぞれの会社が、まだホンダとかソニーとか呼ばれる前の時代から親しく交流の持っていた。
井深は著書の中で、本田のことで最も強く印象に残っているのは、本田自身の子供時代の話だと書いている。

まだ、ヨチヨチ歩きの宗一郎は、自宅から一里ほど離れたところにあった米屋の精米機を見るのが大好きだった。
当時の精米機は電気式ではなく石油発動機式で、石油の油臭さの中、エンジンが回転するポンポンという軽快な音をたてていた。
いつもは祖父にせがんでおんぶして見に言っていた宗一郎は、ある日、祖父が留守だったためにひとりで4キロもの道を歩いて米屋に向かった。
途中、田んぼに転がり落ちて、あわやというところを通りかかった若い女性に救われた・・・そうだ。

この話を聞いた井深は持論が正しかったコトを確信した・・・という。

加えて、本田宗一郎の実家は鍛冶屋だった。
母親のお腹の中にいる頃から聞いていた鍛冶屋の音・・・そして同じようなリズミカルな機械音が、本田にとって生涯心に残る音となり、やがてそれを追求するようになったとしても不思議はない。

感性は理屈ではない。
コギャルに限らず、所詮人間は好きなモノは好きで「なぜ?」と聞かれても、とって付けた理屈程度のコトしか言いようがない。

ところで私は母親のお腹の中にいる時に、母親がタイプライター打ちの内職をしていて、いつも耳元ではタイプの音を聞いていたようだ。
「だから、アイツは夜な夜なキーボードに向かうようになったんだ」・・・と言われたコトがある。

そして最古の記憶は幼稚園の頃。
家の前をグルグルと三輪車で走っていると、母親が近所のオバさんと立ち話をしていた。
その足下まで走って、何の気なしに「人間って、いつか死ぬんだよね?」と母親に尋ねたら、いともアッサリと「そうよ」と言われたコト。
・・・それが、ものすごいショックだった。

最近の子供は産まれる前から、ふんだんにビデオに撮られていて、繰り返しそれを見る機会がある。
こう繰り返し同じ情景を見せられていると、はたして記憶しているのが本当に自分が見た記憶なのか、親から聞かせられたコトなのか、それともビデオで見たコトなのか・・・わからなくなってしまうんじゃないかと思う。

それは、それでウマイこと自分なりに消化していくだろう・・・けど。

さて、あなたの最古の記憶は・・・何ですか?


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「わが友 本田宗一郎」井深 大=著 ごま書房=刊

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