Episode No.545(20000526):オペラ座の外人 今日、5月26日は三浦 環(たまき)の命日だ。 誰? それ? と、思う方も多いと思うが・・・環は『蝶々夫人』で世界に知られるプリマドンナ。 プリマ・・・つまり、歌劇の女主人公。 亡くなったのは、1946年だから、今から54年前になる。 小劇場のお芝居を観て以来、すっかり観劇づいてしまった私が、ついにオペラにまで行ったという話は、この間したけれど・・・。 厳密に言えば、この間行ったのはオペラの名場面で使われている曲を集めた、オペラ歌手によるコンサートで、音楽化されたお芝居を通して観たワケではない。 『蝶々夫人』が、日本を舞台としたオペラであるコトくらいは知っていて・・・。 確か長崎で『蝶々夫人』の像というのも見た記憶はあるが・・・。 本当のところ、人に説明できるほどの知識はない・・・で、ちょっと調べてみた。 1904年に初演された『蝶々夫人/マダム・バタフライ』の舞台は、幕末の長崎。 アメリカ海軍士官と恋に落ちた主人公は、親や親類の反対を押し切って改宗し、士官と結婚する。 しかし、士官にとって主人公は単なる現地妻・・・やがて彼女を残して帰国してしまう。 3年後・・・士官は再び日本へ。 待ちわびていた主人公は、彼女が士官との間に生んだ子供と共に再会するが・・・。 士官はアメリカ人妻を連れていた。 「名誉に死ね」という遺書を残し、絶望した主人公は先祖伝来の短刀で自決する・・・という物語。 本来イタリア生まれのオペラとして珍しいのは・・・。 「さくらさくら」や「君が代」などの日本の曲に加え、アメリカ国家まで使われているという点だ。 この主人公を当たり役としたのが・・・三浦 環。 環もまた、蝶々夫人に負けないくらい波瀾万丈の一生を送っている。 日本初の公証人を父に持つ環が生まれたのは明治17年・・・1884年のコト。 本人は音楽の道に進みたかったが、厳格な父はそれを許さず軍医と強引に結婚させられてしまう。 しかし、夢が捨てきれなかった環は、結婚しているコトを隠して東京音楽大学に入学。 音大で講師をしていた滝廉太郎にプロポーズを受けてしまったという逸話も残っている。 その後、母校の助教授にまでなったが、家庭と仕事との板挟みにあって離婚。 だが、すぐに別の医師と再婚した。 素早い再婚がスキャンダルとなり、逃げるように夫婦で日本を後にするが・・・。 ロンドンで大指揮者ヘンリー・ウッドと出逢い・・・『蝶々夫人』に。 実に2,000回もの舞台を踏んで、世界に知られるプリマドンナとなった。 環も蝶々夫人も、自分の信ずる道を求めて生きぬいたコトに変わりはなかった・・・というワケだ。 ところで「オペラ opera」は、もともと「作品」という意味。 『スターウォーズ』以降、SF冒険物語を「スペース・オペラ」とも言うが・・・。 アメリカでは、テレビのメロドラマを「ソープ・オペラ」とも言うようだ。 これは番組のスポンサーが石鹸メーカーであったコトによるモノらしい。 そろそろ「デジタル・オペラ」とか「ウェブ・オペラ」という言葉も出てきそう、だね。
参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊 「オペラ道場入門」玉木正之=著 小学館=刊 ほか
[ Back to Top| Backnumber | ご愛読者アンケート|BBS 御意見番| BBS 保存版 ]