レオナルド・ダ・ビンチと並んで、イタリア、ルネサンス期の偉大な芸術家として知られるのが、ミケランジェロ・ブォナロッティだ。
ダビデ像やピエタ像などの彫刻や、4年以上の製作期間を費やしたシスティナ礼拝堂の天井画のほか、ローマ法王がいるバチカンのサンピエトロ大聖堂の建築をも手がけたミケランジェロは、ダ・ビンチと同じく、フィレンツェ生まれ。
その仕事の幅広さ、そして絵画や彫刻制作のために死体の解剖までやった点でもダ・ビンチとの共通点が見られる。
ダ・ビンチとミケランジェロが初めて顔を合わせたのは、1500年の春。
2人の故郷、フィレンツェでの話だ。
その時、売り出し中のミケランジェロは26歳。
すでに一流芸術家として名をはせていたダ・ビンチは、ちょうど48歳になっていた。
互いをライバル視していた彼らが、真っ向から戦うことになったのは、1505年のこと。
フィレンツェ政庁大会議場の東側の壁画をダ・ビンチが。西側の壁画をミケランジェロが描くことになったのだ。
ミケランジェロは、ダビデ像を完成させた直後で、ノリにのっている時期。
この勝負に勝って、新しい自分の時代を築こうと考えた。
一方、ダ・ビンチもすでにモナリザの制作に入っていた円熟期。
若造に負けてなるものか・・・と思ったに違いない。
新旧の天才の直接対決に、当時のイタリア市民も大いに注目したが、結局、この勝負はつくことはなかった。
ミケランジェロは制作の途中でローマに呼ばれ、法王ユリウス二世の墓づくりに没頭してしまい、ダ・ビンチの描きかけた壁画も途中で絵の具が流れ出し、修復不可能となるアクシデントに見まわれてしまったのだ。
こうしてフィレンツェ政庁大会議場の壁画は、とうとう未完のまま。
2人の勝負を楽しみにしていた市民の感想は、猪木対アリの何とも言いようのない勝負の結末を見せられた時の感覚に近かったに違いない。
「千の喜びも、ひとつの苦しみに値しない」とは、ミケランジェロの言葉。
喜びのもつ満足感は一瞬にして終わるが、苦しみこそ人を向上させる価値がある・・・という意味の言葉だ。
新しい苦しみと喜びを求めて、大会議場の壁画のほうり出してローマへ旅立ったミケランジェロは、最終的には確かに偉業を成しえたが、大会議場の壁画を依頼した人にとっては、さぞかし迷惑だったことだろう。
芸術家だから許されるわがままを歴史に残る芸術家には、といていなれそうもない人がやると、とんでもないことになる。
凡人に必要なのは、やはり勤勉さ・・・だな。