坂本龍馬の写真を見たことがある人は多いだろう。
黒い飾り台に右肘をついて、その甲はふところに納めている。
袴の裾からのぞいた靴が何ともアンバランスではあるが、これこそ龍馬のトレードマークであった。
この写真が撮影された正確な日付はわかっていない。
しかし、撮影したのは長崎に日本最初の写真館を開いた上野彦馬という写真師であったと伝えられている。
一説には、この写真に関して言えば、彦馬の弟子が撮影したものだ・・・という話もあるが、ここではその説については深く掘り下げないでおこう。
長崎生まれの彦馬は、医学伝習所で化学を専攻する科学者であった。
その科学者が、出島に伝わってきた写真の道に入ったのには格別な理由がある。
写真機そのものを日本で初めて扱った人物こそ、彦馬の父、上野俊之丞。
今から158年前の1841年6月1日のこと。
俊之丞が、日本で初めての写真撮影を行ったことから、6月1日は"写真の日"とされている。
この時の被写体は、第11代薩摩藩主、島津斉彬。
精錬所や反射炉など最新技術に対して造詣の深い斉彬は、日の丸の考案者としても知られる人物である。
日本で初めての写真撮影が行われた時、上野彦馬はわずか3歳。
まさに三つ子の魂百まで・・・といった感じで、後に彦馬は、自分が学んだ化学の知恵をフル動員させて日本に写真を根付かせた。
彦馬は、上野撮影局での人物撮影のほかに、天体写真なども撮影。
西南戦争を撮った写真は、日本で最初の記録写真といわれている。
今日、ここに名前を連ねた人物たちは、みな日本で初めての偉業を成し得ている。
しかし、ひとり一人の足跡を見てみると、誰一人、日本初を目指していた・・・とは思えない。
ここに登場した偉人たちに限らず、いかなる偉業を成し得た人たちもみな、自分の情熱に対して忠実に生きた人たちである。
それが、たまたま日本初のこと・・・になっただけじゃないか・・・な?!