Episode No.471(000301):密のたくらみ
江戸末期のこと。
長崎で異国の文化を学んでいたのはビスケットの製法を伝えた柴田方庵だけではない。
新潟の裕福な農家に生まれた前島も幕府の命を受けて英語の学習をしていた。
最初は医者になろうと考えて・・・。
そんな前島がアメリカの本を読んでいて、ひどく興味をそそられたモノがある。
早速、前島がそれについて知人のアメリカ人牧師に尋ねると、牧師は一通の封筒を取り出して説明してくれた。
「封筒の・・・ここに貼り付けてあるモノが何だかわかるかい?
これが、この手紙を届けてもらうためにお金を国に支払ったという証明書さ」
そう、つまりこれは切手のコト。
前島はこの画期的な制度をぜひ日本にも取り入れるべきだと興奮した。
そして、今からちょうど129年前の今日・・・1871年3月1日。
東京、京都、大阪の三都市で日本初の郵便制度が実施された。
発案者は、初代駅逓頭(えきていのかみ)・・・今で言う郵政大臣となった前島 密(ひそか)。
同年4月20日には前島の発案通り、郵便事業は正式に国営化され・・・。
料金が高く庶民には使えなかった飛脚の時代は終わりを告げた。
4年後の1875年には早くも外国郵便が登場。
その窓口となった横浜郵便局の洋風木造建築は、前島自身が設計したモノだ。
多彩な才能をみせた前島が次に提案したのが、郵便貯金。
郵便為替制度を発展させ
「全国のいたるところにある郵便局は国民の金庫となるはずだ」
と考えた前島のアイデアが実行されるまで、日本人には貯金という概念すらなかったという。
郵便をはじめとする"情報事業"の発展に生涯をかけた前島は、当然、電話を国内に広めるのにも寄与。
それで今でも通信関連事業は、ぜんぶ郵政省の管轄になっている・・・というワケ。
そんな前島が訴え続けていたのは・・・漢字の廃止。
情報の伝達に漢字が足かせになっている・・・と考えたのだろう。
前島の訴えが認知されるようになっていたら・・・。
日本のコンピュータ技術は、もっと加速していたかも知れない。