Episode No.105:明治130年
まずはお詫びと訂正から。
ちょっと前に日本で開催された最初の忘年会は、伊藤博文が船中で行ったもの・・・と書いたが、それは単なる勘違い。正確には、船中ではなく、東京・築地の"大椿楼(だいちんろう)"という場所で開かれたという。
この席で伊藤博文が、いたずらでヒゲをそったというエピソードはあったらしい。
日付もはっきりしていて、明治10年12月28日。今から、ちょうど121年前のことだから、やっぱり国内初のクリスマスパーティよりは17年も後のことだ。
今年も残すところ、あと4日。
この時期、忘年会の段取りと同時に頭を悩めるのが"年賀状"。例によって、まだ1枚も書けていない。
新年に挨拶をするという習慣は平安時代からあったらしいが、手紙や物を贈る習慣は、江戸時代に武士や裕福な商人の間で広まったものらしい。
現在の年賀状というカタチができあがってきたのは、今から125年前の明治6年に明治政府が郵便葉書を発売しはじめてからのこと。
それから33年後の明治39年から、12月に投函されたものが元旦に届くようなサービスが開始された。
まったく厄介なサービスをはじめてくれたものだ。
ところで、国が郵便制度を設ける以前、手紙や物は飛脚が運んでいた。
郵便制度が全国にしかれるということが発表された時には、全国の飛脚が猛反対をしたが、結局、大半の飛脚を国が配達員として雇用するということで話はまとまったらしい。
その郵政省が現在は民間の宅配便に押されて年間1,000億円もの赤字を出しているとは、何とも皮肉な話。
そういえば今年は不況のあおりを受けて、回転寿司が大盛況だったという。
接待が激減したことで客をなくした高級寿司店が生き残りをかけて回転寿司に転身しているケースも多いらしい。
そんなニュースの中で司会の小宮悦子が「もともと江戸時代には、寿司はファーストフードだったわけですから」と言っていたが、まさしくその通り。
明治元年から数えて、ちょうど130年目の今年は大蔵省の不祥事に始まり、国が守ってきた巨大組織もバタバタと倒れていった。
時代は確実に変わってきている。
21世紀の日本を知ろうと思ったら、江戸時代の庶民の暮らしを調べた方がてっとり早いかもしれない。 |