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Episode No.115(990108):横浜奇談

今から124年前の今日。1875年1月8日は横浜郵便局に外国郵便が開業した日だ。

浦賀に入港したペリーが、翌年の1854年、日米和親条約を締結するために訪れたのが、この横浜。
当時の横浜は、砂洲の上に形成された戸数100戸程度の半農半漁民たちが暮らす小さな村だった。
砂洲が横に延びた地形から「横浜村」の名がつけられたと考えられている。

和親条約に続いて、通商条約の締結を任務として着任したアメリカ総領事ハリスは、当初、江戸、大阪などの開港を要求したが交渉は難航。結局、長崎、函館のほか、江戸に近い神奈川を開港することになった。

その時にはアメリカのほか、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも通商条約が結ばれており、各国は条約で指定された「神奈川」の具体的な場所として、東海道の神奈川宿(現在の横浜駅付近)の近浜を主張。

しかし、外国人と日本人とのトラブルを恐れた幕府は「横浜も神奈川の一部だ」と反論して、港を作る工事をはじめた。つまり、横浜はそれほどヘンピな場所だった。

最初は、この幕府の対応に反発して、神奈川宿近辺に領事館を構えた各国も横浜港が開港してしばらくすると、次第に横浜港近辺へ移転していった。

こうして横浜は名実ともに国際港となる。
神戸や長崎、函館など現在では国際的な港として活躍する場所も多いが、横浜の場合には最初から国際港として建設された・・・というところに特長がある。

とくに東京に近いこともあって、日本初の鉄道や電信、電話などの情報伝達手段は、まず東京と横浜の間に作られた。

現在の横浜は埋め立てが進み、開港当時の面影も少なくなってきているが、入港した外国人がパスポートなしで往来できる区域を定めた呼び名が現在も地名として残っている。
横浜スタジアムや伊勢佐木町の最寄り駅として知られる「関内」がそれだ。

横浜国際郵便局の並びにある「横浜開港資料館」には、当時の歴史を物語るさまざまな展示物がある。
敷地内にある喫茶店は、開港当時そのままの建物を利用したもので、喫茶店の名は「ペリー」という。


参考資料:「横浜の歴史あれこれQ&A〜近代編」横浜開港資料館=編
     「今日は何の日」PHP研究所=編

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