でじたけの「人生日々更新」歴史に耳を澄ませる〜源頼朝の子・千鶴丸の悲運

Episode No.4281(20120511)[日記]Diary

歴史に耳を澄ませる〜源頼朝の子・千鶴丸の悲運
Izu of May, 2012 -No.4.
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とにかく今回の伊豆小旅行では、
50歳という年齢に逆らうかの如く、
これでもか!というほど、よく歩いた。

初日の下田では5時間。
翌日は一碧湖大室山
最終日は城ヶ崎周辺を2〜3時間歩いた。

車をハイブリッド車に変えてからというもの、
電車で行くより、車で行く方が、
はるかに安上がりにはなったけれど…。
ゴールデンウイークの伊豆までの道が
尋常な混み方でないことは充分に知っていたから、
現地では秘密基地に置いた原付を頼り動き回り、
行き帰りは電車で読書と居眠りを楽しむことにした。
天気に恵まれないとNGだけど、
今回は焼けるくらいの好天だった。

東京からだと全席指定の踊り子号が早いが、
横浜からなら普通の通勤快速でもいいから、その点も楽。
熱海始発の東海道線は、
一本見送れば確実に座ることもできる。

それに、よく写真を撮った。

車を運転してると、そうはいかないけど、
歩いては撮るということを繰り返していると、
8GBのメモリなんて、アッという間。
3日間で1,500〜600回はシャッターを切った。

歩きたくなる、撮りたくなる景色が伊豆にはあるんだ。

秘密基地の最寄り駅は、伊豆急の富戸駅
川奈ホテルで有名な川奈と、
吊り橋で有名な城ヶ崎海岸の間にある駅で、
ダイビング好きの人には有名らしいが、
とくに観光スポットもない地味な駅だ。

ところが今回初めて、立派な神社があることを知った。
その名を三島神社という。

伊豆半島の中北端に位置する
静岡県三島市には、有名な三島大社がある。

この三島大社は、
鎌倉幕府を開いた源頼朝(1147〜1199)が
伊豆に流されていた頃、参拝を始めたことで知名度がアップ。
その後、頼朝そのものを祀る神社になったというが
…富戸の三島神社も頼朝に深いゆかりがあった。

平安時代末期、
父・義朝が平治の乱で破れ、
三男・源頼朝が伊豆に流されたのは、13歳の頃。
以来、20年間を伊豆で過ごすことになる。

頼朝の妻として有名なのは
何といっても伊豆の豪族だった北条時政の長女、
北条政子だが…
婚姻したのは、頼朝31歳の頃と考えられている。

しかし、それよりちょうど10年前…、
21歳の頼朝は逢瀬を重ねる恋人と出逢っている。
相手は伊東の豪族、
伊東祐親(すけちか)の三女、八重姫。

5年後、2人の間には千鶴丸という子供もできた。

この頃、父・祐親は大番役という、
後の参勤交代みたいな制度によって、
3年間、京警備に出ていて伊豆を留守にしていた。

平清盛からの信頼を受け、
頼朝の監視を任されていた祐親は、
娘が流人・頼朝の子を産んだことに激怒し、
八重姫が産んだ頼朝の子、
…つまり自分の孫を殺し、頼朝の命も狙う。

この時、29歳の頼朝は熱海に逃げ、
ここでも生き延びて…2年後、北条政子と婚姻、
平家を破って、鎌倉幕府を開くことになる。

一方、伊東祐親は後に孫殺しを悔いて(?)自害。
八重姫の最期は不明で入水自殺したともいわれている。
頼朝の躍進ぶりに引き換え、何とも悲惨な末路だよなぁ。

頼朝と八重姫の子、千鶴丸が、
わずか3歳で祐親の家来によって殺されたのは
伊東市を流れる松川上流の淵。
石をくくりつけて沈められたらしい。

石がはずれて、海に流されついた千鶴丸は
富戸の海岸で発見された。

富戸・三島神社から真正面に見える海岸で…。

大島を正面にのぞむ、ここ宇根岬には…

千鶴丸の遺体を安置して着物を乾かした場所
…といわれる「産衣石(うぶぎいし)」がある。

ここの展望台で弁当を食ってたら
トンビに狙われて一目散に逃げたよ。

さらに…
その時、千鶴丸が握っていたという橘の枝が
三島神社の裏手に植えられ…

…今も残っている。

以上の話は、現地の案内板と
ネットをたたいて出てきた話を整理してみたもの。

どれくらい正確かはわからないけど、
本当のところを知る人は誰もいない。
…それだけに歴史にはロマンがある。

もちろんこの話だって、
頼朝が何度も殺されかけた挙げ句、
生き延びて鎌倉幕府を開いたように…
八重姫との間にできた千鶴丸も、
実は生き延びていたという説もある。

そういえば昔、青森で…
キリストの墓っていうのも見たことがあったな。

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