Episode No.3756(20100907):
思い出話シリーズ
02 恋に恋する年頃 テレビで「傷だらけの天使」が最終回を迎えた日。我が家は東京から横浜へ引っ越してきた。 中学に入学すると、まず驚いたのが、まわりにいる連中の幼さ。 東京の小学校じゃあ、誰と誰が付き合ってる…なんて噂話で持ちきりだったのに、当時、横浜の中学1年生といえば「仮面ライダー描けるかよ?」という話がせいぜい。正直3、4歳は年下に見えた。 そんな感じだったので、中1当時の女子への印象もあまり残っていない。 むしろ強烈な印象を放ったのは、まだ二十代半ばで夏目雅子に似ていた美人担任教師だな。この先生は、後に隣のクラス担任だった吉田拓郎似の先生と結婚した。 …で、このお二人とはつい先々月友人のライヴ会場でお会いした。 『先生の言うことなんか聞かなくていい!』なんてエッセイを書いているわりに、私自身はいい先生に恵まれて、こうして中学時代の先生や高校時代の先生ともいまだに付き合いがあり、盃を酌み交わすことすらある。 考えてみると最初から先生と生徒という関係ではなかったのかもしれないね…先生方には失礼な話だけれども。 見方を変えれば立場を越えた人間関係というものを身をもって教えてくれた、いい先生たちなんだ。 中学1、2年の頃の想い出というのは、あまりない。 その頃から現在にいたるまで付き合いを続けている友人は少なからずいて、個人の印象はあるが、中学もはじめの頃は東京から横浜に越していたギャップを埋めるのに必至で、何かをやろうという余裕はなかったのかもしれない。 一応、軟式テニス部には入っていたけど、ね。それほど強かったわけでもなかったからテニス一直線ではなかったし。ただ、ここで先輩後輩という厳しい戒律を体験したことは、その後の人生にとってもいい経験だった。 また、学生時代を振り返った時、高校時代があまりに強烈だったから、ほかの記憶が薄れてしまったのかもしれない。 そうだ! テニス部に入っていて、一度だけ一級上の女の先輩にラブレターを渡したことがあったな。家もすごく近所だった。 結局、友だちになりましょうと言いくるめられてしまったけれど、小学校を卒業する頃、思いを寄せていたタカハシにちょっと似た感じだったのと、年上の女性への憧れもあったかもしれない。 そのわりに名前すら覚えていない。ラブレターを書いて渡すというドキドキする体験をしてみたかっただけ…だったのかもな。 中学時代といえば印象深いのは3年の時のクラス。女子の顔まで、ほとんど覚えているのは、この時のクラス以外にない。 私が8mmフィルムで映画を作り始めたのは小学2年の時だったけれど、それをようやく横浜の友人たちとで再開できるようになったのが中3になってからだのことだった。 映画を作りはじめると、うちには女子を含めクラスの連中が大勢やってくるようになった。映画という自分のフィールドを通して、この時から女子にも小学校時代のモリタのような親友が増えた。 それに先駆けて、 クラスも同じで家の方角も同じだったから、一緒に帰るような機会もあって、バス停で蚊に食われながら、よく話しをした。いったい、あんなに長い時間、何を話すことがあったんだか(笑)。 うちに遊びに来た時は当時流行の刺繍の入ったボウリングシャツを着ていたのを覚えているから、学校帰りとかじゃなく休みの日にわざわざ来たんだろう。 その頃、MJは同じクラスのKと付き合っていて、私はKとも仲がいい方だった。 その時も何の用事があって来たのか、いったい何を話したのかは覚えていないが、唯一MJが話したことで覚えている台詞がある。 私の部屋に入った瞬間「あ、Kのニオイがする」とMは確かに言った。 後から考えれば、それは男臭いってことだろうと思う。 中学も卒業の頃になると、男もたいぶ男臭く、女はより女臭くなってくる。 ちなみにMは、この間のライヴで懐かしいナンバーの熱唱を聴かせてくれた。 よかったよ。また聴かせてくれよMJ! このシリーズのバックナンバー このほかの思い出話シリーズ ■30年目の夏─「白い蹉跌」のこと ■実録トラブル体験談〜巨大組織との仁義なき戦い Copyright 1998-2010 digitake.com. All Rights Reserved. |