この連休の前半は
草刈りと掃除に明け暮れて、
久々に肉体的な虚脱感を味わった。
で、後半にはまだ
「連休中にやらねば」と誓った課題を残しながら、
珍しくのんびりと低反発マットレスにころがりながら
読書ばかりしていた。
『「兵士」になれなかった三島由紀夫』
杉山隆男=著/小学館文庫=刊
…をイッキに読む。
三島文学に傾倒するほど、
三島作品も読んでいないし…
私にとっての三島由紀夫は、
自身が言うように、
人間(ことに男)が強がろうとするモラルを
全うしようとした芸術家を越えた存在であり、
何故そこまで出来たのかを探求したくなる
興味の対象でしかない。
東大卒の優秀なエリートだった三島が、
唯一抱いていた劣等感は、ひ弱な肉体だった。
ボディビルで鍛えた肉体を武器に、
そうした自分への落とし前をつけるために挑んだ
陸上自衛隊への体験入隊。
しかし、そこでの三島は劣等生。
厄年になって二十代半ばの隊員と一緒になって
過酷な訓練をしようというのだから無理もない話ではある。
一般人であれば、
有名人と一緒にいられると思えば、
どことなく舞い上がってしまうものだけれど、
まだ軍隊意識が色濃く残っていた当時の自衛隊員は、
雑誌や映画でチヤホヤされる
男芸者のような時代の寵児に、
当初、訝しげな目を向け、半ば挑戦的だった。
ところが今でもなお、
三島を「先生」と仰ぐ自衛隊OBがいるのは…
強さに憧れ(あるいは軽蔑し)、
弱さに惚れた、のだと思う。
人間同士の結びつきというものは、
実はこういうものだと、あらためて感じた。
完全無欠な者を眺めているうちは、
強い憧れを抱くものの、
自分が決してそうなれないことは
自分自身がよく知っているから、
やがては気持ちが離れていってしまう。
やがては完全無欠な者への
粗探しをはじめることだろう。
ところが弱さには誰でも共感できる。
だから…
三島が大嫌いだが無視できなかった
太宰文学が未だに人の心を捉えているのだ。
ただ弱いだけなら、掃いて捨てるほどいるから、
人の心には決して残らない。
強くあろうとして、
時折見せる弱さに人は共感する。
…そこは方向性こと違い、
三島も太宰も同じだと思う。
そして、そこに人間が刻まれているのだろう。
たとえ自分がどんな努力をして、
その結果、周囲に認められ、
数多くの友達ができたとしても…
自分の努力の結果、友達ができた
…なとどの単純に考えないことだ。
本当の友は、
実は頼りない自分に
簡単に騙されてくれる者ではない。
ところで…
数年前にオークションで落として、
その後、長男の誕生日プレゼントにやった
三島由紀夫の毛筆の色紙だけれど、
書き込まれた言葉や書体、額装から、
この本に登場する、自衛隊で頼まれた
山のような色紙の一枚ではないかと考えられる。
あくまでも勝手な鑑定だけど、ね。