ノーベール文学賞候補にまでなった
三島由紀夫の職業は、
いうまでもなく小説家である。
しかし…
写真のモデルをしたり、
映画にも出演しているし、
自ら映画を監督したり、
交遊の深かった
丸山明宏(現・美輪明宏)のショーには
歌手としても出演している。
レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとする
古代のジャンルが確立されていない時代
…の芸術家は別として、
おそらく、この日本においては
初めてのマルチ・タレントといえるのが
三島由紀夫ではないかと考えられる。
一方、松田優作も一俳優に止まらず、
自ら脚本・監督も手がければ、
本格的な歌手活動までこなしていた。
私のカラオケの18番の1つ(?)
「横浜ホンキートンク ブルース」は、
確か松田優作が兄貴分と慕う
原田芳雄の曲だったはずなのに…
カラオケでは松田優作とクレジットされている。
今となっては珍しい話でもないだろうけれど、
現代の商業主義のエンターテイメントが、
人気のある名前がほしいが故に
誰にでも歌を歌わせ、
また映画を撮らせるのと…
三島由紀夫や松田優作が
自分の職業の枠を広げていったのには、
大きな違いがあるように感じられてならない。
例えば…
今のお笑い芸人が俳優になった時や、
俳優が司会者やキャスターになった場合、
それはメディアの世界で食っていくための
「転職」のようなものだが、
三島由紀夫も松田優作も
最期まで小説家や俳優を捨てることはなかった。
それどころか、より一層、
本業に精進し、世界に認められていった。
それは確実に活動の場を「広げた」のであって、
決して「転職」ではない。
自ら作った自分の居場所を広げることに
命がけで取り組んだ…そう思えるし、
仕事が食いつなぐための道具ではない
…そんな風にも思える。
こうした自らの欲求こそが、
彼らの美意識の現れ…と見ることができる。
そこに歴史に残る素養と、
一個人の肉体が成し得ることのできる限界
…があったのではないだろうか?
これが個人ではなく一企業=組織体であれば、
活躍の場を無限に広げていくことはできたかもしれないし、
たとえ創業者の肉体は滅んでも
成長を続けることができたかもしれない。
だが、そうするための絶対条件は
柔軟性を持つことであり、
頑なな美意識を貫くこととは相反する面が少なくない。
才能を高めることを「磨く」と表現することは多い。
「磨く」とは、つまり余分な部分を「削り落とす」ことだ。
命がけで磨きぬいたものが
他人や時代に汚されることは決して許さない。
三島由紀夫と松田優作の頑なさは、やがて
自らの人生の終わりをも完璧に演出しようという
エネルギーに変わっていった…。
三島同様にマルチな才能で話題を呼んだ
詩人・寺山修司は、自身の職業を尋ねられて…
「職業は寺山修司」…と答えているが、
三島由紀夫も松田優作も、
まさに職業は自分自身…だった。
縛られない強い生き方…
最も自分を縛っているのも、自分自身なのだ。
【敬称略】
─三島由紀夫と松田優作〈つづく〉
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