Episode No.3463(20091001)
感じる人・感じない人

或るセミナーでの話。

今時、なかなか盛況で立ち見も出るほど。

話し好き(?)な講師は
言いたいこともシッカリしていたし、
軽い笑いもとれるから、
2時間近い話だったけどみんな熱心に聞いていた。

終盤になって…
講師がちょっと調子にのって口を滑らせてしまった。

日本人の器用さを主張するまではよかったが、
欧米人の不器用さを
極端な例を挙げて揶揄したのだ。

会場にいた大半の日本人の笑いはとれたけれど、
最後列に座っていた白人が、
スッとその表情を曇らせ、
手にしていたノートを
座席の前に置いてあった鞄に力一杯ねじ込むのを見た。

座席に座っていた…ということは、
少なくとも開始の1時間は前から、
このセミナーを楽しみにやってきた人に違いない。

聞きたい話は聞けたとは思うけど…
聞きたくない話まで聞いてしまった感じだろう、ね。

そこで私は考えた。

もし、これが日本以外の場所で…
講師が日本人を馬鹿にするような発言をして、
そこに日本人がいたらどうだろう?と。

おそらく…苦笑いするんじゃないかな?
まず、見た目に分かる怒り方はしないんじゃないか。

そこが日本人の「弱さ」であり、
かつ「おくゆかしさ」でもあるだろう。

アメリカの動物学者、E・S・モース博士が
1877年に日本を訪れた時の話…

当時、タクシーはまだなくて
移動の手段は人力車。

田んぼのあぜ道を少し太くしたくらいの道を
車夫たちが汗をかきながら行き来している。
人力車同士が接触することも間々あったようだ。

たまたま、そんな接触を目撃したモース博士は驚いた。

欧米で同じようなことがあれば、
すぐさま殴り合いの喧嘩になるというのに、
車夫たちはお互いの顔を見合わせ、
怒るどころか苦笑して、そのまま先を急いでいる。

車夫は何故怒らないのか?
怒って車を止めれば、
先を急ぐ客の迷惑になる
…というプロ意識が何よりも優先していたのか?

それだけではないだろう。
動物学者であるモース博士は、
何より日本人の悪戯に自我を主張しない
周囲の流れを重んじた態度に感銘を受けたという。

そういえば、この間テレビで…
欧米人と東洋人との感覚の違いをやってたな…。

空に舞う風船を見て…
欧米人の多くは、
風船から空気が漏れて飛んでいる、と思い、
東洋人の多くは…
風船が風にあおられて飛んでいる、と感じる。

見えないものを大切にする気持ちは大切だと思う。
しかし…
同時に見えない人がいるということも忘れてはならない、ね。


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