Episode No.3318(20090415)
照代と岳彦

税金の元をとるため
…という目的はともかく、
娘がもらってきてくれた本を読む。

天気待ち 監督・黒澤明とともに (文春文庫)
…の著者の野上照代さんという方は、
比較的、邦画好きの私も存じ上げなかったが…
読めば読むほど、
日本映画界にとってスゴイ人だということがわかる。

最終的には黒澤プロダクションの
マネージャーになられた方だが、
出発点は映画のスクリプター。
いつ何をどう撮影したのか、という記録係だ。
そして、最近では…
吉永小百合主演で映画化された
山田洋次監督の「母べえ」の
原作者としても知られている。

黒澤監督に会う前、
有名な監督に付いていた野上さんは、
その監督が急逝されて、
一時、監督の息子さんの世話係となる。

いかに仕事で世話になった人の遺児とはいえ、
当時、二十歳になるかならないかの女性が、
中学一年の子供の飯炊き役として
一年近く一緒に暮らす…というのは、
今ではまず考えられないこと。
ひょっとしたら
当時でも珍しいことだったかもしれない。

その間には、
映画製作の現場に働く故、
あまりに不規則な生活だったために、
大家から立ち退きを命ぜられたこともあったという。
…これも今では考えられないような話。

そうした他人との生活を経て、
やがて高校を卒業した監督の遺児は、
映画会社のはからいで編集部で働くようになり、
野上さんと同じく映画関係で働く
野上さんの一番の親友と結婚。そして離婚。

俳優として世に知られるようになり、
最終的には父と同じく映画監督になった。

その遺児こそ…伊丹十三である。

野上さんは今でも伊丹十三監督を
出逢った当時の名前である本名の岳彦と呼ぶ。

「岳彦がもっと年をとってから振り返ってみれば、
 つまらないことで悩んでいたものだ、
 と笑ってしまうようなことだったのではないか。
 もっと年をとれば、また違う
 面白い映画を作ったかもしれないではないか。
 あなたが空を飛んで
 地上に落下するまでの、二、三秒の間に、
 とまった、と後悔したのではないだろうか、岳彦」

野上さんの悲しみには母の悲しみが感じられるなぁ。


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