考えようによっては…
「こち亀」の秋本治先生と、
あの文豪・三島由紀夫は
似たような出発点を持ちながら、
まったく異なる方向に進んでしまった
作家なのかもしれないな。
もともと…どちらかというと線が細く、
強いて悪く言えば、ひ弱な感じで。
内向的な一面があるが故、
創作に長けている。
三島文学に登場する男性像の多くも、
両さんとまではいかないまでも、
筋肉隆々とした野性味あふれるキャラが少なくない。
それは作者が憧れる姿でもあったろう。
三島と同時代の人気作家だった
現都知事の石原慎太郎氏によれば…
30過ぎてからボディビルをはじめ、
フェイクの肉体を手に入れた三島は、
創作と現実とのバランスを崩し、
最終的に割腹自決に至ったという考え方もある。
なりたいものは描くより、
自分でなった方がいい…と考えるのは
健全な素人の発想で、
なりたい自分になってしまうことは
プロの作家にとっては命取りなのかもしれない。
とはいえ…
作家とて人間だから、
なりたいものになろうとする気持ちを持つことは
常人と変わりはしないだろう。
問題は…どこで割り切るか、だな。
割り切ることが嘘になるのは、
しょせん素人で…
割り切ることが嘘にはならず、
区別としてバランスを保てるのが職人的なプロ。
言うまでもなく、
三島由紀夫は芸術家として生涯を貫き、
秋本治は職人になった、ということか。
芸術家も職人も、
どちらもプロに違いなけれど…
そう考えてみると、
芸術は神の領域に近いようにも感じる。
神の領域を垣間見ることに誰でも興味を抱く。
…とくに純粋な若い時には。
しかし…
そこに近づけば近づくほど…危うい。
…しかも、食えない。