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Episode No.390(991125):真似すべきではないけれど

昭和45年は大阪で万国博覧会が開催された年だ・・・その年の11月25日。

東京新宿にある陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監部総監室では、総監と来客者数名が談笑していた。
来客者のうち、一番よく笑う男が突如、緊張した声で言った・・・「手ぬぐい」。
その言葉を合図に、勢いよく立ち上がった他の来客者たちは総監を椅子に縛りつける。

やがて、駐屯地内にいた自衛隊員が中庭に集められた。
総監室の窓から飛び出し、自衛隊員たちを見下ろすバルコニーに立った男の名は、
三島由紀夫
ノーベル文学賞候補にまでなった三島のその日の肩書きは、作家ではなく"楯の会"隊長。

命がけの演説は、ヤジと報道ヘリの爆音にかき消され・・・天皇陛下万歳を叫んで室内に戻った三島は、楯の会隊員、森田必勝(まさかつ) の介錯で自害した。
・・・享年45歳。

若くして人気作家となった三島は、その後、今でいうコメンテーターや歌手、俳優としても活躍していた。
この時代、文化人として同じく人気を誇っていたのが、現東京都知事の石原慎太郎だ。

石原慎太郎は、三島より8つ年下だったが、2人は若手作家同士ということで大変仲が良かったという。
三島も評論やインタビューの中で、石原慎太郎の作品を誉める発言をずい分としている。

ただし、決定的に違ったのは2人の政治への対処の仕方だ。

同じように政治に不満を抱いていた2人だが、知っての通り石原慎太郎は議員となり、三島は決して政治家になろうとはしなかった。

変えたい・・・と思うモノに対して、その中に飛び込んで変えようとしたのが石原流。
一方の三島は、自分が良くないと思っているモノの中に入るなんて考えられない・・・変えるなら外側から変えるべきだ・・・と信じていた。

どちらにも理はあるが、今のところは現役で活躍している石原流の方がやや勝っているようにも見える。
かと言って三島は討ち死にしたか・・・と言えば、それも何とも言えない。

事件はあくまでも法を犯したモノであるし、芸術家であるがゆえ美化される自殺も本来行使すべき手段ではない。
その主義主張も充分に理解できるかといえば、わからない点も多い・・・しかし。

三島事件は、当時まだ小学生だった私の脳裏にもハッキリ印象があるインパクトのある事件だったし、その後、いろいろと調べてみると考えさせられる何かは残している。

29年経った今日も、こうして思い起こし考えるきっかけを与えてくれる何か・・・をね。


参考資料:いろいろ・・・

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