Episode No.817(20010409):男の言い訳、女の言い訳

最近は、何処に行っても誰と会っても・・・
つい「でじたけLIVE」的ネタで話しまくってしまう私。

先日、お得意さんと出張に出た時も・・・
帰りの車中は仕事の話じゃなくて「人間とは」という話で盛り上がってしまった。

仕事の話の延長線上で
「あの人は何故、ああなんだろう」という素朴な疑問が出てくると・・・
「こういう傾向があるから、こういかないと」という感じて話が展開してしまう。

その傾向を的確につかめないと・・・結局、仕事も思うように進まない。
正しいから通る、というワケにいかないところが仕事の大変なところだ。

話はさらにエスカレートして・・・
テーマは「男の言い訳と女の言い訳の違い」におよんだ。

少し前にも書いたばかりだけど・・・
「あの人は特別」あるいは「あの人には、もともとそういう才能があった」なんて言って・・・
自分が「できない」言い訳をする人は多い。

できる人の努力を認めてしまうのは・・・
同時に自分が努力をしていないのを認めてしまうことになるからね。
相手を「特別」と思いこむ努力だけして、できない自分を正当化しているわけだ。

お得意さんいわく・・・
「いるいる、そういう奴。
 でも、そういうの・・・男には多けど、女はちょっと違うこともあるよね」

女性の場合は、同じように相手を「特別」視しても・・・そこで終わらない。
その後に・・・
「でも、あの人にこういうことはできないけれど、私にはできる」
と、相手のコトはどうあれ「自分はこうだ」と言い切る。
・・・確かに、そういえば思い当たるフシもある。

大義名分、理屈で動く男性はカタイ頭で勝ち負けにこだわる。
勝てると思えば力を誇示するが・・・負けると察すれば、とたんに萎縮してしまう。

一方、女性はい悪いは別にして自分をアピールすることに良・・・貪欲な傾向がある。
それを生命力の強さ、と言う人もいるだろう。

ショーペンハウエルは・・・
「女が理性の力において弱いことは
 彼女たちが男より、なぜ不幸な人々に同情するかを教えている。
 そしてことことはまた反対に
 彼女たちがなぜ正義については男よりも劣っているかをものがたっている」
なんて言ってるけれど・・・

幸福と正義は理想・・・
でも現実の世の中にそう言えるモノは滅多にない、からね。

この言葉は、裏を返せば・・・
男がいかに現実を生きることに対して弱い傾向にあるのか
・・・を表しているようにも思えちゃう、な。


参考資料:「格言の花束」堀秀彦=編 現代教養文庫=刊