Episode No.555(20000607):大名に金を貸すな 現代は「情報化」時代・・・なんて言われて久しいけれど。 戦いのカギを握るのは、いつの世も「情報」。 成功者は必ず、そのソースを持っている。 三井財閥を築いた、伊勢松阪の元酒屋、三井高利は・・・。 京都に呉服仕入れ店を開業し、日本で初めて品物に定価をつけたコトで知られている。 そのほかにも・・・。 掛け値が当たり前の時代に掛け売りをなくし、客が必要な分だけを切り売りして人気を集めた。 掛け値がない分、商品は他の店より2〜3割は安く提供できる。 店にとっても消費者にとってもメリットがある無理のない商法だから・・・当然、発展した。 こうして越前屋の名を不動のモノとした三井は、金銀相場で儲ける両替商を始める。 江戸、大坂、京都にネットワークを儲けて、情報を金にかえはじめたワケ。 と、ここまではたいていの豪商もやっているコトで決して珍しくはない。 むしろ、もっと大規模な商売を行っていたところだってあったかも知れない。 しかし、三井が現代まで残っているのは・・・ある家訓のおかげ、と言っても過言ではない。 その家訓とは「大名に金を貸すな」。 豪商たちの中には、儲かった金を大名に貸し付けて、大名の権限を利用して、さらに儲けようという者が大勢いた・・・まさに「そちもワルよのう」の世界。 三井も、いわゆる政治献金は行っていたようだが・・・その先は幕府の大名たちではなかった。 当時、金銀相場変動の震源地は長崎。 オランダ、中国との銀貨の取引によって相場が動いていたので、長崎での貿易額によって銀の相場はもちろん、それにつられて金の相場も動く。 そこで、いち早く長崎に支店を出していた三井は、鎖国の世であるにもかかわらず、海外事情に強かった。 遅かれ早かれ開国となり・・・そうなれば幕府が崩壊するというコトをペリー来航より前に知っていたのだ。 だから、もっぱら献金先は薩摩藩。 やがて倒れるであろう大名や旗本からは、むしろ絞りとる側にまわった。 もちろん庶民にはサービスを忘れない。 こうして、世の中が三井のにらんだ通りに動くと、幕府の寄生虫と化していた他の豪商は共倒れ。 三井は財閥として、さらに発展を遂げた。 世の中の変わり目は・・・。 目の前の大きなモノを少し遠くから見つめる視点も必要だ、ね。
参考資料:「歴史おもしろ苦労話」泉 秀樹=著 三笠書房=刊
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