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Episode No.062:信念の生涯

彼女の信念の強さを語るうえでは多くの賛辞を並べたてるより、その略歴を見てもらう方が早い。

生まれは、当時ロシアの占領下にあったポーランドの首都、ワルシャワ。

16歳で地元の女学校を卒業し、住み込みの家庭教師となる。

家庭教師で貯めた金をもとに、24歳でフランスへ渡り、ソルボンヌ大学に入学。

26歳、物理学の学士試験に合格。翌年には、数学の学士試験にも合格する。

自分の研究に助言を与えてくれる良き相談相手と28歳で結婚。

30歳、長女を出産。育児のかたわら研究を進める。

36歳、ノーベル物理学賞を受賞。

37歳、次女を出産。

39歳、夫が交通事故で急死。夫の後を継ぎ、ソルボンヌ大学で講義。41歳で同大学教授に就任。

44歳、ノーベル化学賞を受賞。

52歳、研究所所長に就任。

59歳、彼女の研究を助けていた長女が結婚。

67歳、白血病により永眠。その翌年、長女夫婦がノーベル化学賞を受賞。

彼女の名前は、マリア・クスロドフスカ。フランス名はマリー。
夫の名前は、ピエール・キュリー。彼女はキュリー夫人と呼ばれた。

彼女がこの世に生を受けたのは、今からちょうど131年前の今日、11月7日。
この年、1867年は、アルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明した年としても知られている。


参考文献:「世界の伝記 キュリー夫人」中川 徹=監修 集英社=刊

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