Episode No.526(20000504):才能の穴埋め
組織に背を向けて、自分で商売をしようなどと思う人は・・・。
多かれ少なかれ、組織より自分の才能の信じているような気がする。
1835年、アメリカはミズリー州フロリダに生まれた彼は、自らを
「ハレー彗星とともにやってきた」と豪語した。
12歳で父を失うと学校をやめて印刷所で働くようになる。
彼が文学的センスを磨いたのは、ここで植字工見習いをしていた期間のコトだ。
やがて新聞に旅行記を寄稿するようになったのを皮切りに、ジャーナリストとしての道が開けてくる。
その後もミシシッピ川の水先案内人の免許をとてみたり、兵隊になったみたり・・・。
自分の興味のおもむくまま、さまざまなコトに手をつけた。
そのうえで作家として再スタートを切り、裕福な石炭業者の娘と結婚。
そのまま順風満帆な日々が暮らせたら・・・作家としては今ほど知られていなかったかも知れない。
印刷所に勤めていた経験を元に出版業に出資するが、みごとに失敗。
多額の借金を背負うコトになった。
こうなると自分の元に残っているのは、やはり自らの才能しかない。
借金を返すために、懸命の執筆活動が始まる。
そんな時期に誕生したのが・・・『トム・ソーヤの冒険』だ。
彼の名は、サミュエル・ラングボーン。
ペンネームは、もちろんマーク・トゥエインだ。
莫大な借金という現実を目の前にして・・・。
マーク・トゥエインが描こうとした少年時代の思い出は、彼にとっては『癒し』だったに違いない。
その後も『王子と乞食』や『ハックルベリイ・フィンの冒険』など・・・。
アメリカ現代文学を代表する名作を数多く世に送り出すが・・・。
晩年は最新型印刷機の投資に失敗して全財産を失ってしまう。
さらに2人の娘が早すぎる死を迎えたうえ、妻にも先立たれ、希望の灯はついに消えた。
「ハレー彗星とともに死にたい」とも言っていたマーク・トゥエインがこの世を去ったのは・・・。
1910年4月21日、ハレー彗星が通過した翌日のコトだった。
アメリカにおいて、マーク・トゥエインの残した言葉が日常の会話の中で引用される頻度は、フランクリンやリンカーンを含む、いかなるアメリカの偉人の言葉より多いらしい。
私にもお気に入りのマーク・トゥエインの言葉は多いが・・・。
今日は、こんなひと言を紹介したいと思う。
「真実を語るときに嘘をつく人もいるが、私は嘘をつきながら真実を語る」