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Episode No.509(20000414):悲劇は繰り返されている

昨日は私的な誕生日の話だったけど、今日は命日の話。
もちろん私の命日じゃないけれど・・・。

「衝撃を感じた。しかし大丈夫だろうと考えて寝台へ戻った」
と語るのは、乗組員である火夫の話。

いったい何の乗組員かと言えば・・・あのタイタニック。

1911年に建造され、翌'12年4月10日にイギリス、サザンプトンからニューヨークに向けて処女航海に出た4万トンを超える豪華客船が巨大な氷山と衝突したのは・・・。
今からちょうど88年前の4月14日午後11時40分のことだった。
つまり、当時の技術と贅沢を結集したタイタニックが、まともにその機能を果たしていたのは、一週間にも満たない短い時間だった・・・というワケだ。

ちなみに、この年は日本で言うと明治45年。
7月に明治天皇が59歳で崩御し、大正元年を迎えた年だ。

浸水後のパニックについては、現代の技術を結集した
映画『タイタニック』で、ごらんになった方も多いと思う。
私もかなり遅ればせながらビデオで観たが・・・劇場の大画面で観たかったなぁ。

タイタニックの巨大さについては
前にも書いたコトがあるが・・・。
内部を16の隔壁で区切り、うち4区画まで浸水しても決して「沈まない船」というのが完成時の触れ込み。
衝突した氷山の力が強すぎたのか? 隔壁がもろ過ぎたのか?
いずれにしても、やっぱり
絶対などというコトはないモノだ。

絶対に大丈夫だと一見根拠がありそうに見える話を鵜呑みにして、乗員乗客2,224人に対して準備されていた救命ボートの数は約1,000人分。
万が一、何かあったら少なくとも半分以上の人たちは海の藻屑と消えるコトは最初からわかっていた。

しかも、極度の混乱状態の中、定員40人の救命ボートに12人しか乗っていなかったという例もあり、結局たすかったのは、わずか700人程度・・・生還率は約31%というコトになる。

同年4月15日、イギリス、アメリカの新聞はいち早くタイタニック遭難を知らせた。
だが、その第一報の見出しは『全員無事』、『乗客は直ちにパリジャン号とカーバシア号に移される』といったモノで・・・その後、真実を知った遺族の落胆は相当なモノだっただろう。

映画も
ディカプリオが良かったし、悲劇のロマンも嫌いじゃない・・・と楽しんでばかりもいられない。
すべての歴史は教訓である。

あなたが今、
属している豪華客船には・・・はたして何人分の救命ボートが用意されてる?
うちは大丈夫・・・と家族や知人に納得してもらえるような充分な説明ができる?
最初から救命ボート程度の船に乗っているとしたら、定員はオーバーしてない?
浸水はないか? 進行方向に氷山はないか? しっかり確認できてる?

場合によっては・・・ひとりでも泳ぎきれるように、しっかりと自分を鍛えておく必要があるかも、ね。


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「週刊20世紀 1912」朝日新聞社=刊

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