■■さん、はじめまて・・・ですよね?! digitakeです。
メールありがとうございます。
非常に興味深い論争のテーマでしたね。
話しは"クリスマスが宗教の行事の一つでそれを他宗教の人がむやみやたらに疑問を持たずに受け入れるべきかどうか"?が始まりだったようにお見受けします。
私は常日頃から、日本人の国民性について色々考えることがあります。そんなきっかけをつくったのは、過去に4年間海外で働いた経験があり、外側から日本,自分の国を観ることが出来たからだと思います。
私が感じる日本文化についてちょっとお話させていただければと思いこのメイルを書かせてもらいました。
日本人は戦後、いや更にさかのぼると鎖国以後海外の文化を色々な形で取り入れ、それを生活の中に取り入れている国民です。
まー簡単に言えば最寄りの駅から自宅に戻る間、また自分の家の中を見渡せば何となくわかると思いますけど・・・例えば、日本には日本の気候風土にに適した木造の瓦屋根いわゆる日本家屋と呼ばれるものが以前は数多く存在していました。
しかし、今は時代と共にライフスタイルも変わり、街並みは、いわゆるスウェーデンなどの北欧や、カナダなどの北米からの輸入住宅が目立ち、近代的なマンションなどと交わると一見して日本と言えない場所がかなり多くなっています(唯一あまり見栄えのよくない電信柱が存在をアピールしているが)。
私はイギリス赴任中かなり多くの国々を旅行しましたが、旅行先で瓦屋根の日本家屋が街中に存在したのは一度も見たことがありません。
日本人は世界で一番の食器持ちと言われています。
日本の各家庭には、おそらく和、洋、中の三種類の食器が存在するのではないでしょうか?私の家でも茶碗、湯飲み、小皿、コーヒーカップ、洋食のディナーセット、中華でもラーメンの丼などを、家族の人数分なんて言う家もあるのでは。 服装まで言うつもりはありませんが、サリー、チャドルなどインドやイスラム圏では今でも伝統の服装を着続けている国もありますが、日本では・・流石に着物を着ろとは言えませんが、少なくても私は持っていません。
確かにその通りですね。
最近、私が読み始めた古代の日本の歴史からすると、鎖国以後どころか日本の歴史そのものが中国から米が伝わってきたところからはじまった・・・と言っていいようです。
このあたりについては近々、digitakeの中でもやや詳しく書いてみようと思っていたところですが・・・。
秦の始皇帝時代に日本に男女合わせて3,000人あまりもの子供たちを連れて渡ってきた中国人が、国以前、村を形成するためのいろんな物を伝えているんです。
日本の各地にもその男を祀ったとする神社が各地にあるようなんですが、つい最近までは神話上の架空の人物とみられていました。ところが、その男の故郷からさまざまな見つかって、どうやら実在した人物らしいとクローズアップされてきています。
坂本龍一の話じゃありませんが、本来、日本人って混血なんですよね。
無論、そこまでさかのぼった話をすると「じゃあ人類みな兄弟っていうコトになるじゃないか・・・」というところまで行ってしまいますけど。
それ以外にも他国の文化が日本人の生活に根づいていることが多々あります。
日本人は他の国の文化を非常に多く取り入れそれを受け入れる文化があるので。
東京ディズニーランドいわゆるアメリカの文化と言われるもの。
日本では、開業後すぐに黒字となり今でも根強い人気、入場者もこのての施設では過去最高を記録しています。
フランスのパリ郊外にあるユーロディズニー、ここは開業以来赤字が続き、一時は倒産するのではとの声まで聞かれたほどです。いつだか忘れましたがここ数年間やっと黒字に転じたという話は聞きましたが。
この業績不振は決してロケーションなどの問題ではなく、ヨーロッパの人々、特にフランス人の自愛心がアメリカ文化を容易に受け入れなかった結果だと言われています。
繰り返しになりますが、日本人は他の国の文化、更には風習まで取り入れてしまう
非常に器用な民族なのです。
ユーロディズニーニンドの話は私も興味深くニュースなどで聞いていました。
ディズニー自体が好きなモノでね。
ただ、結構問題はあったようですね。ディズニー側にも。
ご承知かも知れませんが、そもそも日本のディズニーランドは、ディズニープロダクションが積極的に日本進出をもくろんで始めたプロジェクトではありません。
浦安の土地を三菱地所が手にした時点では「例えばアメリカのディズニーランドのようなモノ」を作ることが目的で、そのまま誘致できるとは考えていなかったようです。
だから運営母体の会社名も株式会社東京ディズニーランドではなく、オリエンタルランドという名称になっています。
やがて「じゃあディズニーランドっていうのはどんなところなのか」を説明するために地元の有力者を連れて本物のディズニーランドの視察に赴き、最終的に「あれをそのまま持って来られないのか」という話になったようです。
最初は直接自分のコントロール下に置けない地域でのランド運営に難色を示したディズニー側ですが、そこは日本人の"真面目さ"に折れた・・・というカタチで初めてアメリカ以外でのディズニーランド運営にGOサインを出しました。
ただ2匹目のドジョウ・・・とでも言いましょうか、ユーロの場合は経済効果ばかりを考えた地元の有力者はかなり積極的だったようですが、その反面、ディズニーの言いなりになり過ぎてしまい、膨大なマニュアルはもちろん、従業員にまで英語を強制したことに、まず問題があった感じです。
あきらかに民族が違う日本に対しては、そこまでやらなかったのに・・・ね。
あらかじめ、その"違い"を認めたところに成功のカギがあったのかも知れません。
文化というモノは人間が作り出した穀物や野菜のようなモノだとも思うんです。
今は日本国中、どこにでもあるキャベツだって、もともと日本に生えていたわけではありません。
寒い国々を時間をかけて通り過ぎて日本に来るまでの間に、あんなまるまったカタチになってしまいましたが、その国の気候風土に合わせて変わっていくものでしょう。
どれがオリジナルでオリジナル以外はみんなウソか?・・・と言えば、やっぱりあるモノはあるワケで・・・。
ひょっとしたら民族性ウンヌンの前に、日本という国が気候風土に恵まれているから、ある程度何でも受け入れられるのかもしれませんね。
私は国と国が付き合う上で大切な物、あえて言えば壁が二つあると思います。
一つは先ほどから話している文化の面。もう一つは実際の人間同士の交流面です。
ある人がいっていましたが「日本人はあんなに上手に他国の文化を受け入れるのになぜ他国の人々との付き合いがすすまないのか。私は日本人の考えていることがよく分からない。私にしてみれば中国人の方がまだわかりやすい。 なぜならば彼らの文化の壁は高すぎて入り込ことが出来ない。当然人的交流も先に進まない。要は彼らは自国の物が一番だと思っているからだ.」
さっきの話の続きになりますが、気候風土のほかに、日本が適当な広さだ・・・というコトもあるかも知れません。
何でもすぐに国中に広がってしまうほどの適当な広さ。
中国はもちろん、インドでも国が発行する紙幣ですら4カ国語くらいで金額が併記されていると聞きます。
そうじゃないと読めない人が国民の中にいるから。
確かに大陸の人たちや限られた気候風土の中で生活する人たちにとっては理解しがたい面が多いでしょうね、日本は。
作家の・・・新井ナントカいう電通マンで芥川賞とった人が言ってましたけど、ソニーのウォークマンに見られるような扱いやすい製品は「引き算の思想」によって作られている・・・と。
家電のカタログ、ことにパソコンのカタログなんか見るとそうですが、あれもできる、これもできると書き殴られてはいますけど、結局何ができるのかよくわからない・・・というようなことがよくあります。
だけど好きですモンねぇ・・・日本人は、やっぱり鍋物が。
日本に住む外国人の数はバブル崩壊後、年々減少傾向にあるといわれています。
しかし一方では日本人が海外旅行に出かける回数は年々増え続けています。
海外に出て異文化に接する機会が増えていることから、さらに海外の影響を受ける度合いが増してくるのではと思われます。
日本におけるクリスマスは、日本人が日本流にアレンジした一種のイベントに過ぎないのかもしれません。
ですからそのイベントに参加しようが、しまいが、あまり大きな問題ではないと思うのですが。
ただ物事の本質を理解しないと、イースターであれ、クリスマスであれ実際にその起源が生まれた国から見ると、なにか理解できないこともあるのではないでしょうか。
そうかも知れません。
でもね。理解できないからダメだ・・・というコトでもないと思うんです。現実そこにあるんですから。
最も私は研究者でも評論家でもありませんから、本当に自分に興味がわいたモノ以外追求している時間を持っていません。
髪の毛茶色に染めて、黒い顔して、ルーズソックスはいてる女子高生もまったくどこがカッコイイんだか理解できませんが、少なくとも彼女たちはそれを楽しんでいる。
他人に迷惑をかけない限り、自分が楽しむことは自由だと思います。
本当にそれが迷惑をかけていないのかどうかは充分に検証する必要はあると思いますけどね。
茶髪のお母さんがくわえタバコで赤ん坊なんか抱いてたりすると、取り上げたくなっちゃうモンね。いくら自分の子供だからって・・・。
たとえばある正月、アメリカの家庭でお年玉袋に入ったお年玉の交換があったら何かへんじゃないですか?
今はそういう習慣がないからヘンに思えますが、少なくともそうなったら、子供たちにとっては楽しいでしょうね。
日本にだってクリスマスに子供にプレゼントをやる習慣なんか、もともとはなかったけれど、今の子供にとっては一年のうちでもすごく楽しみな一日であることに間違いはないし、親やおじいちゃんおばあちゃんにとっても子供の喜ぶ顔が見られる日として充分成り立っていると思います。
もちろん物だけの問題じゃないけど・・・。
たとえ相手が子供じゃなくても、例えば彼女だとしても、何をあげたら相手が喜んでくれるのか一生懸命相手の身になって考える時間というのは悪くないモノだと、私は思います。
ずい分、余計にコトまで長々と書いてしまいました。
よかったら、この内容をそっくりそのままdigitakeに掲載させてください。
もちろん■■さんのお名前はふせて掲載します。
年末に入ってガタガタしているモノで、これで一日分更新できると助かります(本音)。
では。