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Episode No.320(990904):密林の聖者

「人間もだいたい30歳くらいになるとね、自分の生きる道というモノがだいたい決まってくるモノなんだけれど・・・」

かつて、映画監督の大林宣彦はインタビューの中で、こんなコトを言っていた。
それを見たのは、私がハタチになるかならないかの頃で、私もそういうモンだと思っていた。

実際に30も半ばを過ぎた今、それを思い返してみると・・・少々複雑な思いはある。

確かに、メインとなる仕事は決まっていて、それで食べてはいるのだけれど、商売というモノはつねに周囲との関係によって成立するワケで、自分がこうしたい・・・と勝手に思っているだけじゃあ成り立たない。
手を変え、品を変え、ようやく安定した収入が得られるという点では、カタにはまったコトをしていたのでは、生活できない。

ただ、そういう世界に生きるようになった・・・という点では、やっぱり生きる場所は決まってきているのかなぁ、やっぱり。
今さら医者になれるとも思えないし・・・。

しかし、世の中にはスゴイ人がいる。

"密林の聖者"と呼ばれた男。
おっと! ターザンじゃありませんよ、アルベルト・シュバイツァー博士のこと。

医学博士シュバイツァーは、ドイツ人でありながら夫婦でアフリカのガボンに渡り、貧しい人たちのために長年診療を行ったことで、1952年にノーベル平和賞を受けた世界の偉人。
しかし、医者を志した年齢は、普通よりかなり遅い。

牧師の子として生まれた彼は、幼い頃からオルガンを習い、後にオルガン制作の研究者、そしてバッハ研究家としても知られる音楽家ともなった。
大学では、神学と哲学を学び、博士号を修得。
そのまま大学の神学部の教師となる一方、父の後を継いで神父にもなった。

とくかく30歳までは、自分の好きな牧師の仕事と音楽の勉強をしよう・・・と決めていた彼は、間もなく30歳になる時に、ある記事を目にする。

それは、医師の少ないアフリカの貧しい現状を伝えたもの。

30を過ぎたら、人の役に立つ生き方をする・・・と、心に誓っていた彼は、神父と音楽家、そして教師を続けながら自分が教壇に立っていた大学の医学部に入学。
36歳でみごと医学部を卒業し、資金を集めると、38歳で初めてアフリカの地へ向かう。

考えようによっては、極端な凝り性・・・と言えなくもないが、やはりエライ人には違いない。

そんな彼を支えた妻、ヘレーネは彼の決心を聞いて自分は看護婦になる勉強をして彼に着いて行ったというから、これもスゴイ。

ニワトリ小屋を改良して作った診察室で始まった彼の病院も2度の世界大戦をくぐりぬけ、今ではリッパな大病院となっている。
もちろん、ノーベル平和賞の賞金もすべてこの病院建設のためにあてられた。

医師としてのスタートは決して早くはなかったが、結果としてシュバイツァーは、自分の人生の約6割を医師として生きることになった。

ちょうど34年前の今日、1952年9月4日に90歳の天寿を全うしたアルベルト・シュバイツァーは、彼の建てた病院の敷地にヘレーネ夫人とともに葬られている。


参考資料:「世界の伝記/シュバイツァー」高橋 功=監修 集英社=刊
     「21世紀こども人物館」小学館=刊

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