でじたけの「人生日々更新」伊豆と女と二人の作家

Episode No.4563(20130405)[信条]Creed

伊豆と女と二人の作家
About Izu and a woman and two writers.

非常によく似た二人である。

関西圏に生まれたのも同じなら、
早くに父親を結核で亡くしたのも同じ。
進んだ大学・学部も同じ、
東京帝国大学文学部英文学科。

そして、就いた職業も同じ…小説家。

十一谷 義三郎(じゅういちや ぎさぶろう)は、
1897(明治30)年10月14日、神戸市生まれ。

川端 康成(かわばた やすなり)は、
1899(明治32)年6月14日、大阪市生まれ。

二人が良きライバルだった
…のは、想像に難くない。

1924(大正13)年、
川端が帝大を卒業した年この年、
文学仲間が集まって
同人雑誌『文藝時代』を創刊する。

もちろん、そこには十一谷もいた。

2年後の1926(大正15)年、
この同人誌に
川端が後世に名を残す名作を発表する。

…「伊豆の踊子」である。

川端康成27歳。
同じ年、川端は結婚もしている。

それからさらに2年後の1928(昭和3)年、
2つ年下の川端に対抗するように、
十一谷もようやく話題作を発表することができた。

小説の主人公は女性。
しかも、舞台は川端と同じ伊豆

「唐人お吉」である。

この作品の大ヒットで、
31歳の十一谷は、国民文芸賞を受賞している。

川端が東京帝国大学入学直前の19の頃、
伊豆を一人旅した経験を元に書かれた
「伊豆の踊子」に対し…
「唐人お吉」には、
別の人間が郷土誌に発表した元の話があった。

実在の人物、斎藤きちの話を伝え聞いた医師、
村松春水という人物が郷土研究者となり
「実話唐人お吉」を執筆。

十一谷は、この版権を買い取った。

そして素人が書いた伝聞を劇的にリメイクし
大ヒット作「唐人お吉」、
続いて「時の敗者唐人お吉」を発表し、
日本中をお吉ブームに巻き込んだ。

そうまでして
話題作を書きたかった十一谷には、
人一倍焦る気持ちがあったに違いない。

それは、2つ年下の川端に
先を越されたことだけでなく…
自分の命に対する懐疑心。

十一谷は父だけでなく、弟も結核で亡くしていた。
…次は自分の番だ。

そして、十一谷は、
「唐人お吉」で注目された、わずか7年後…
1937(昭和12)年4月2日、
39歳の若さで結核で亡くなっている。

川端康成が、
後にノーベル文学賞受賞の
きっかけとなる「雪国」で、
文芸懇話会賞を受賞した年だった。

日本でもっとも美しい文章を書いた作家
…と言われる川端康成の小説は、
今でもどこの本屋でも手に入れることができる。

が、あいにく十一谷 義三郎の「唐人お吉」は、
大ブームになったにもかかわらず、現在は絶版。

インターネットの青空文庫にも、
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにも
収録されておらず、
古本を探し出さない限り、読むことはできない。

今、「唐人お吉」物語として売られている本は、
十一谷 義三郎の「唐人お吉」を…
いや、村松春水の「実話唐人お吉」を基に、
リメイクが重ねられた作品である。

川端康成が残したのは美しい文章…。
十一谷 義三郎が残したのは悲しいエピソード
…だった。

だから…人生、日々更新。

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