何か物事が起こる時や起こす時の
動機、或いは理由は、決して一つではない。
ただ、代表的な
動機、或いは理由が語られるだけだ。
代表的な
動機、或いは理由というものは、
その物事の起こりに対して、
他人が納得をするためのものであり、
かつ…
その物事を起こした本人が
自分を納得させるものである。
よく聞く、離婚の理由などは…
たいてい、
夫を知る者は妻の口うるささを理由だと思い、
妻を知る者は夫の不貞が原因だと思う。
そして、当の本人たちは、
たくさんの理由を集めて、
仕方がなかった…と思いたがる。
どの立場から見た、どんな理由も、
決定的な動機、或いは理由には欠け、
取るに足らない
動機、或いは理由の寄せ集めが、
その物事を実際に動かしている。
時間さえあれば
下田に出かけて行く理由だって、
決して一つではない。
いい景色が見たいのと、
美味いものが食いたい
…という理由だけなら、
何も下田でなくてもいい。
動機、或いは理由を自問自答することは、
自分が本当にやりたい無意識のことを探る、
いい機会であるが…
気をつけなければならないのは、
強引に動機、或いは理由を決めつけることが
嘘をつくことになりかねない…ということと、
他人に理解されようとするあまり、
本来の動機、或いは理由が
ねじ曲がってゆく…ことである。
そこに、
世間と自分とのズレを発見すれば、
それはまたそれで興味深いのだが…
楽しさは常に危険をはらんでいることも
忘れてはならないだろう。