大きさは
だいたいコレくらいだったと思うが、
丸かったか、四角に近かったか、
青かったか、赤かったか定かではない。
ただ、すごく重かったような気がする。
…とまあ、
記憶というのは
曖昧なものであることが多いが、
よくよく聞いてみると、
「見たり」「聞いたり」したことより、
「触ったり」「臭い」だったり、
「暑さ、寒さ」だったり…、
視覚、聴覚以外で関知したことの方が、
記憶には鮮明に残っているように思う。
そもそも、見たり、聞いたりしただけで
理解でき、記憶に残せるモノは、
自分の中に
予備知識が備わっていて、
見た瞬間に
予めしまってあったモノと
見たり、聞いたりモノを結びつけて
理解の箱に投げ入れている感じだ。
この時、
予備知識はないはずなのに
理解ができるモノがあるとすれば、
それは本能的なモノだろう。
本人の経験や意識とは別に、
DNAが予備知識を持っているのだ。
大人になればなるほど、
この傾向は顕著に表れ、
やがて強引に、
自分が持ってる理解の箱に
何でもかんでも放り込むようになる。
そこで生じるのが
…いわゆる思い込み。
新しい理解の箱を
作り上げていく努力をしないと、
新しいことは
何一つ理解できなくなってしまうよな。