先週「水」について、いろいろ考えてた。
その答えは、まだまだわからないけれど、
例によって、それは…
自ら進んで考えていたのではなくて、
考えるように「何か」に導かれていた
…と思わざるを得ないよう出逢いがあった。
連休は伊豆の秘密基地まで荷物運びの用事があって、
台風の後片付けなんかをしていたんだけれど、
案外片付けが早く済んだので
帰りはぶらっと天城まで遠回りをしてきた。
国道135号線を下田方面に下る。
夏の間は海水浴客でごった返していた海沿いの道も、
すっかり静まりかえっている。
まだ時折、蝉の声を耳にしたが、
河津から天城に向かって登っていくと、
気温はグッと下がって秋の深まりを肌で感じる。
山に入る手前に広がった田園風景も
実りの秋を知るには充分だ。
…と、左手に古びた神社の社が目に入った。
鳥居の前に大きな石碑が立っている。
「水神社」…! このストレートな名前!
思わず車を路肩に寄せてカメラを片手に飛び降りた。
かなり古い神社である。
狛犬には明治の文字。灯籠には天保の文字が読める。
敷地は決して広くはないが、おそらく
大昔からこの地域のランドマークになっていたであろう巨木が
社との見事なバランスを醸(かも)し出している。
まるで時代劇に登場するような神社だ。
神社のいわれが気になった。
帰宅してネットを叩くと…
全国にずいぶん、たくさんあるんだな「水神社」。
今回立ち寄った、この「水神社」についてのいわれは、
ちょっと検索できなかったけれど、
このすぐ近くに、もっと有名な「水神社」もあるらしい。
次回はぜひ行ってみよう。
さて、各地の「水神社」のいわれから…
そして、その名が示す通り、
「水神社」は「水」を「神」として祀っている。
何も科学的な研究や証明がなされなくとも、
大昔から人間は「水」と「生命」の関係を知っていた。
科学万能の世の中になると、
ついぞ科学的な裏付けがないと
何も信用できなくなってしまうのは
…進化というより、むしろ退化だろう。
これまでの科学の常識では
考えられないことが、しばしば起きるのは…
科学の歴史自体、人類の歴史に比べてごく浅いのだから
…当然といえば当然。
さりとて、宗教に偏る気持ちはさらさらないけれど、
こうして何かを感じ、何かに導かれ、何かと出逢う
…という未知のエネルギーは味方につけたいと思う。
さて、「水神社」を後にして進んだ先で、
…また思いもかけないものに出逢った。
その報告は、また後日…。どこに書こうか思案中。