他人にバカにされることだけは許さない。
…これは他人に対しての思いであると同時に、
自分に対する思いでもある。
度を超した負けず嫌いの裏側に
強いコンプレックスが潜んでいたことは否めない。
かつて山中湖畔に建つ、
三島由紀夫文学館を訪ねたことがある。
庭にアポロ像が建つロココ調の邸宅は、
先頃、無許可撮影で書類送検された
篠山紀信が写真集を作ったことでも知られるが、
都内にあるその邸宅には、
確かまだ長男が住んでいるので
一般には開放されていない。
その代わり、山中湖畔に、
その邸宅を模した記念館が建てられ、
再現された書斎や生原稿、
初版本などを見学することができる。
そこには三島が
小学生時代に書いたという作文も展示されていた。
…第一印象は実に綺麗で大人びた字であること。
後年の原稿の文字を見ると、
かなり勢いづいてはいるが、
そのしっかりとした書体は変わっていなかった。
まるでペン習字のようなきっちりとした文字を
小学生が書いていたとは、まったく驚きだ。
今と違って昔の人は
直に文字を書く機会も多く、字は綺麗
…とはいえ、この三島少年の文字は、
一般的な教育だけでなく、
徹底した管理と、本人の意地がなければ書けないのではないか。
エリート教育を受け、それに答えた三島を
コンプレックスのどん底に落とし入れる事件は20歳の頃、起きた。
…徴兵検査の乙種合格である。
甲種合格は「合格」で、
乙種合格というのは、つまり「不合格」を意味する。
後年、ボディビルにはまり、
肉体美を求めたのも、
こうした肉体的なコンプレックスに所以する。
また、戦争に行く覚悟で、この時書いた遺書を
三島は生涯唯一の遺書とし、
自決した時に辞世の句は遺したが遺書はしたためなかった。
むろん、徴兵検査で乙種合格を受け取った者は
三島だけではなかったろうし、
むしろ不合格を喜んだ者も少なくなかっただろう。
しかし…自分の覚悟を曲げることが、三島には許されなかった。
父なし子で在日韓国人の母に育てられた松田優作が、
コンプレックスを感じ…
生涯、自分の居場所を求め続けたことも間違いはない。
それも同じ時代の中で、
同じような境遇にいたのは松田優作だけではなかったはずだ。
他人に対してではなく、
自分に対して許せないものを感じる。
これは大きな才能であり、
また、扱いようによっては危険を生じかねない感情である。
三島由紀夫は
自衛隊・市ヶ谷駐屯地のバルコニーに立った時、
演説の主旨を書いた「激」文を撒いている。
そこにはこんな一説があった。
「生命尊重ばかりで魂は死んでもよいのか」
【敬称略】
─三島由紀夫と松田優作〈つづく〉
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