松下幸之助の本を読んでも…
小林一三の本を読んでも…
「行き方」について書いてある。
「生き方」ではなく
「行き方」と書かれていることに惹かれる。
「生き方」というと…
すごく哲学的で賢人めいたイメージはあるが、
放っておいたって死ぬまでは生きているわけだから、
過ぎ去った過去を正当化するための、
いわば受動態的な感じがしなくもない。
人というのは、
自分の考えで生きているようでいて
実はそうでもなく、
案外なりゆきで過ごしているもの。
なりゆきで来た道を、ちょっとカッコつけて、
あたかも自分で切り開いたが如く
「生き方」なんて言うことは誰にでもできる。
対して「行き方」という書き方をすると、
自ら突っ込んでいくような能動態的な感じがする。
「行き方」を語るには、
自分が先頭に立っていなければならない。
地図を片手に懸命に道を探しても、
道がある以上、そこは誰かが作った道。
道なき道を行くのに…地図など何の役にも立たない。
地図を頼りにしようとするから、
ちょっと工事でもしていて通れないと、
それを理由に足が止まってしまうし…
いい地図が見つからないのを理由に
一歩も前に進まないでいる。
地図を持たずに歩くなんて、
それこそ行き当たりばったりな感じもするけど
…そこは無策の策。
アドリブで切り抜けられないと新しい道は見つからない。
ただし、地図の見方を知っての上だ。