Episode No.3102(20080806)
合掌

2008年8月2日、
赤塚不二夫先生が逝ってしまった。

・・・また「昭和」が遠のいてしまったな。

実は赤塚先生とは、
たった一度だけお会いしたことがある。

広告の仕事で
レレレのおじさんのイラストを頼むことにあり、
何度か下落合のフジオプロにお邪魔した。

もう20年くらい前の話で、
ちょうど先生が再婚された頃だった。

当時すでに先生は、ほぼアル中になられていて、
実際のイラストはアシスタントの方が描いていたが、
たまたま原稿を取りに行った時に
スタジオに下りてきた先生にばったりお会いして、
直接お礼を言うことができた。

・・・ものすごく緊張した。

仕事だったから、
そこまで緊張することもないんだけど、
幼少の頃から赤塚漫画を相当読んでいたから、
その作者が目の前にいるというだけで
・・・手が震えたのを覚えている。

戦時中の教育を受けた人が
天皇陛下と直接会ったのと
同じような緊張感だろうな、たぶん。

フジオプロにはKさんというマネージャーというか
番頭役の方がいらっしゃって・・・
その人がものすごく怖い人だった。

提出してもらった下書きの返事が遅いと
怒鳴るような口調で電話が来る。

広告の制作プロダクションにいた私は、
しばしばクライアントとKさんの板挟みにあった。

しばらくは赤塚漫画を読んでも
Kさんのことを思い出し、笑えなくなるほど怖かった。

ところが・・・Kさんは、
あわてて謝りに行って、直接会うと
・・・いつもニコやかに迎えてくれた。

ようするに電話だけのやりとりが嫌いなようだった。

それでも電話連絡も時には必要だったし、
仕事の進行についてはKさんしかわからなかったので、
何度か電話もしたが・・・
一度、赤塚先生本人が電話に出られたこともあった。

Kさんをお願いすると、
先生は「Kはどこ行った〜」と行って、
そのまま受話器を置いて、どこかに行ってしまった。
・・・完全に酔っぱらっていた。

しばらくしてアシスタントの方が、
はずれたままになっている受話器に気づいて出てくれ、
Kさんがお休みであることを知った。

赤塚先生が、本当に
周囲の人たちに愛されている存在であることは
部外者の私にも、よくわかった。

もちろん赤塚先生が遺した作品は
数え切れない人たちに愛されている。

作品を作るのは「人」であることを
あらためて思い起こした。

・・・合掌。