創作ノオト(19990926)
皮肉めいた話を書くことは比較的容易だ・・・というコトは前にも書いた。
物語を書こうと思ったら、まず的確な観察眼を持つことは第一だと思うが、皮肉で終わらせるコトは、観察したコトをスケッチで終わらせているような気がする。
そこに自分なりの色を塗って作品として仕上げるためには、皮肉な現実に対する一種の解決策を打ち出さなければならない。
前作『美穂のアルバイト日記』でも、そこが一番苦労した点だった。
絶体絶命の主人公をそのまましゃがも込ませて泣かせ、本当は自分自身が子供だった・・・というオチも考えられなくはなかったが、それではまったく救いがない。
寅さんシリーズをはじめとする山田洋次作品が愛される最大の理由は、そこに1人として悪者が出て来ない・・・という点にあるだろうと思う。
誰か1人のせいにして、話をまとめてしまうのは、いともたやすいコトだが、それは言わば、ゆがめられた真実を構築するコトである。
本当は個人個人それぞれの立場や事情があって、良かれと思うコトをしている。
それが他人との間でチグハグになることから騒動が生まれる。
今回の話『車掌熱唱』も、そんな内容だ。
騒動のネタを探すのは簡単。まさに犬も歩けばと言うモノで、ちょっと街へ出れば、繁華街で受け取るティッシュペーパーの数をかるく上回る。
さて、この騒動を誰一人傷つけずに、いかにまとめるか・・・が最大の課題。
自分が勝手に想像した物語の答えを出すというパズルに最近ハマっている。
それがあまりに楽しいので、ひとつ終わると、また次が解きたくなって・・・。
仕事も忙しいというのに、ついつい誰に頼まれたワケでもないコトに頭を使ってしまう。 |