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Episode No.524(20000502):昔から・・・って、いつから?

「鯉のぼり、いいねぇ。
 あんな大きな魚が空を泳ぐんだよ。すごいイマジネーションじゃないか。
 それも、1人の
芸術家の創作じゃない。
 普通の民衆がみんなで自然に持ってるイメージなんだ。
 世界中にひろめたいな」

・・・と言ったのは、かつて鯉のぼりのデザインまで手がけた
岡本太郎画伯。

うちにも男の子か2人いるので、この間の日曜日には物置から大きな五月人形を出してきた。
鯉のぼりは・・・ちょうどお隣の家のが真正面に見えるので、それでヨシとして・・・。

五月人形は、長男の初節句の時にカミさんの両親から贈ってもらったモノで・・・リッパな鎧甲。
今年、小学生になった長男も、コレを見るのをずい分楽しみにしているようだ。

そもそも鯉のぼりに関して言えば・・・。
鯉は精気の強い魚で、化して龍となり、大きな滝をりぼる出世魚。
鯉のぼりの起源については300年以上前の記録が見あたらないコトから江戸中期以降だろうと言われている。
一般庶民に普及したのは、そのずっと後で、せいぜい明治中期以後だから、まだ100年と経っていない。

端午の節句という風習は中国から入ってきて、まず上流階級にだけ普及したモノらしいが・・・。
江戸幕府が定めた五節句に入ってはいる。

しかし、士農工商の時代に農民や漁民が鎧甲を飾ったとは思えないし・・・。
鯉のぼりを立てて、立身出世が望めた時代でとも考えにくい。

鯉のぼりを古くは「鯉の吹き流し」と呼んだ。
「鯉の吹き流し」は、祭礼に立てるのぼりと同じ意味合いで作られたモノ。
のぼりは、神霊を招き降ろすために立てられるモノ・・・いわば、昇っていくのとは逆の考え方。

農耕社会において旧暦の5月は、田植え月の大切なシーズン。
その大切な時期を無事におくるために鯉のぼりの元祖が立てられていたとすると・・・。
邪気を嫌う女性たち中心の祭りだったとも考えられる。

だから端午の節句が男ではなく、最初は女の祭りだったと言うと・・・ちょっと極端だけど。
少なくとも男の節句と言われるようになったのは、そのずっと後の話。

少なくともあの勇ましい鎧甲を飾る習慣が一般に普及したのは・・・。
誰も鎧甲など身につける者がいなくなってから・・・というコトは確かなようだ。

大昔からあると思っていた風習も・・・時代とともに意味合いは大きく変化しているんだ、ね。

それから考えれば・・・
仕事や会社の
体制が変わるなんて・・・ワケないコト、かもね。


参考資料:「芸術は爆発だ/岡本太郎痛快語録」岡本敏子=著 小学館文庫=刊
     「話のネタ」毎日新聞社=編 PHP文庫=刊

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