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Episode No.518(20000425):ギヨタン博士の憂鬱

今から208年前の1792年の今日4月25日・・・ある画期的(?)な発明品がフランスで実用化された。

・・・「ギロチン」である。

ギロチンの発明者として、医学博士ジョセフ・イグナス・ギヨタンが知られているが・・・。
実際には博士が発明したモノではなく、基本的な設計を行ったのはトビアス・シュミットというドイツ人。
シュミットの職業は、ピアノ作りの機械工だった。

ギヨタン博士の名が「ギロチン」として残ったのは・・・。
1789年10月10日の国民会議で、博士が「人道的な立場から」苦痛をともなわない処刑の必要性を提言したためだ。
その後「人道的な処刑」の研究を続けた博士は、死刑執行のプロ、シャルル・アンリ・サンソンに相談を持ちかけ、サンソンの音楽仲間だったシュミットと知り合った。

ギヨタン博士、サンソン、そしてシュミットが3人で考案した処刑台のアイデアは・・・。
当時はまだ王として君臨していたルイ16世に提出されことになる。

狩りと鍵作りが趣味だったという
ルイ16世は、このアイデアに大変興味を示した。
この時、刃を草刈鎌のように斜めにした方が効果的だと指摘したのは、ルイ16世。
しかも、この処刑台の製作に予算を与えたのも・・・。
この、ちょうど1年後に妻、マリー・アントワネットと共に効果を確かめたルイ16世自身である。

完成した処刑台の名前は当初、ルイ16世の名をとって・・・。
「ラ・ルイゼット」あるいは「ラ・ルイゾン」などと呼ばれていが、フランス革命以降は「ギロチン」の名が定着した。

革命のおかげで公開処刑は、すっかりとお祭りと化した。
市民の人気を集めた「ギロチン」は、アクセサリーにもなって、フランスやドイツでも人気を呼んだとうう。

ところが・・・本当に「ギロチン」は人道的な処刑方法なのだろうか?

当時もそのコトに疑問を抱く人間がいなかったワケではない。
ある死刑執行人は、これから首を落とされる囚人に向かって、こんな提案をした。

「キミの首が落ちた後、私がキミを呼ぶ。
 もし、まだ意識があったら3度まばたきをしてくれないか?」

そして、その囚人の首は・・・2度まばたきをしたという。

「ギロチン」が廃止となったのは・・・意外にも、わずか19年前の1981年になってからのコト。
「人道的」という理由で採用された「ギロチン」は「非人道的」という理由で廃止に至った。

ところで、ギヨタン博士だが・・・。
フランス革命当時、処刑台が自分の名前で呼ばれているコトにさんざん抗議したが受け入れられず・・・。
改名して、田舎に引きこもったという。

思いつきは、よかったんだけどね・・・そもそも死刑に「人道的」も何もねぇ?!
私は決して
死刑廃止論者じゃないけど・・・ね。
やっぱり大切なのは・・・被害者の人権の方・・・だと思うし。


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「歴史毒本」山本 茂=著 光文社=刊

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