Episode No.411(991220):自分を裏切る者は報われない
日本を代表する大企業は、私が好きで良く話に出すSONYやホンダだけでは、もちろんない。
ホンダとはライバル関係にあるトヨタ自動車が大企業であるコトは誰でも知っている。
ただ、戦後生まれのSONYやホンダと比べて、最初からあまりにも巨大過ぎて・・・あって当たり前のような会社みたいな感じがするのも事実。
しかし、そんなトヨタにだって小さな頃はあったし、倒産の危機すらあった。
トヨタグループの基礎を築いた豊田佐吉は、幼い頃、ワットやスチーブンソンの伝記に魅せられ技術者となり、自動織機を開発した世界的な発明家だ。
ご存じのようにトヨタ自動車の前身は、豊田自動織機製作所・・・その自動車部。
現在のトヨタ自動車は、豊田自動織機製作所の一事業部を佐吉の長男、喜一郎が別会社として設立させたものだ。
ちなみに名前の読みは「とよだ」だが、会社を登記する際に間違えて「とよた」としてしまったために、現在も社名はトヨタになってしまったらしい。
喜一郎が当時は、まだまたベンチャーに過ぎなかった自動車作りにかり出したのが、従兄弟の英二・・・現トヨタ名自動車誉会長だ。
英二は、豊田佐吉の弟の次男で、歳は喜一郎より19歳も年下。
仕事を手伝いをはじめた頃は、まだ大学生だった。
トヨタをよく知る人に言わせると、実質的な創業者で二代目社長となった喜一郎は例えれば織田信長・・・日本人だけの手で国産車を作ろうとした冒険家である。
その後、豊臣秀吉に例えられるのが、倒産寸前だったトヨタを立て直して次の世につないだ大番頭、石田退三。
現トヨタ名自動車誉会長の英二は徳川家康で、カンバン方式の威力で天下泰平をつかんだ・・・というワケだ。
1994年、日本人としては本田宗一郎に続いて2人目のアメリカ自動車殿堂入りを果たした豊田英二は「工場の申し子」「合理化の鬼」とも呼ばれる技術者型経営者。
その英二は、トヨタグループの歴史を振り返って言う。
「誰でも考えることは同じ。考えたことを実際にどこまでやるかだ」