御獅子神社の愁傷
Who killed OSHISHI-JINJYA? 3
奇しくも…いや、苦しくも…
御獅子神社の執念
…という一文を掲げたその日、
御獅子神社解体の報を受けた。
写真はご近所に住んでる方が撮影したもの。
何…天候の関係で、
少しばかり工事が伸びていただけの話。
360年の歴史は、
わずか半日足らずで藻屑と化したという。
自分は伊豆下田に
本物の故郷がある人間ではないし、
第一…
この小さな神社が
取り壊されると聞いたのは、
ほんのひと月ほど前。
特別な感情などなくて当然
…なはずなのに、
まるで長年の友を亡くしたような
虚無感にさいなまれている自分に驚く。
比較するのも申し訳ない話だけれど…
震災の時、
何年かに一度しか開かなかったアルバムを
必至に探す人々の映像を見て、
合理性だかと、費用対効果だとか、
そういう一見利口そうに見える考え方が、
いかに人間らしさから
遠いものであるかを感じた。
そして今の自分の感情は、
どうにも説明のしようがないのだ。
さて、この話に結論をつけることはできない。
だが、わかったことがある。
こうして自分がショックを受けたり、
あるいは逆に嬉しいことがあったり、
とにかく感情が揺さぶられた時に
誰かにそのことを話すと…
友達になれる人となれない人がハッキリとわかるね。
より素直な価値観に対して、
お互いがどう受け止めるか
…ということがハッキリするんだ。
もっと話したくなる相手もいれば、
今後は言葉を選んで付き合おうと思う相手もいる。
感情が距離を決めることだけは
間違いないようだ。
しかし、次にあの場所に行った時…
更地になっていると思うと、たまらないね。
震災で町を亡くした人の気持ちを
今更ながら、あらためて考えてしまうよ。
だから…人生、日々更新。
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