安心とは何かを考える時、
いつでも思い浮かぶのは、
電車のホームやバス停にある時刻表だ。
時刻表を見ようが見まいが、
その時刻になるまで
電車やバスは来ないというのに、
あと何分で来る…と知ると安心をする。
あるいは時間的な余裕があれば、
トイレにでも行っておこう
…ということになるのかもしれないし、
終電が終わっていることを知れば、
まさか朝まで待つわけにもいかないので、
別な交通手段を考えなければならない。
そうした切羽詰まった事情により、
時刻表を食い入るように見ることも
少なくはないであろうが、
そうでなくて時計を気にする場合が
案外多い感じがする。
安心を求めるのは、
将来に対する漠然とした不安が
常につきまとっているからだろう。
将来に対する漠然とした不安…
それは間違いなく「死」である。
この平和で便利な世の中においてさえ、
我々は「死」を意識しないわけにはいかない。
それが…生きてる証拠だから、ね。
むしろ「死」を無視しようとすることは、
現実を生きていないような気さえする。
だから…人生、日々更新。