昨日書いた…
常識と、とらえていることの多くは
実は自分の常識や自分が属する組織の常識であって、
世間の常識や
目の前にいる相手の常識ではないことが間々ある。
…という点について、さらに掘り下げてみる。
口には出さないまでも、
自分が考えている常識というものは、
自分を正当化するための
自分都合の言い訳であることが少なくない。
自分の考え…というには少し自信もないし、
周囲には認めてもらえそうにないことを
半ば意識しているが故、常識に頼ろうとする。
それも…自分で作った常識に、ね。
素直に他人へ頭を下げられない。
本当の世間の常識を認めてしまうと、
今の自分が壊れそうになるのが怖い。
そうして作られた常識は…
惰性で何とか乗り切ろうとする
覚悟のない弱い心が作り出した幻影に過ぎない。
夢ではなく、幻が消えるのを恐れるというのは、
まるでアルコール中毒患者と一緒だ、ね。
少なくとも、健康的に伸びていく姿とはかけ離れてる。
こうして…
最初は他人に向けた
批判めいた事柄を掘り下げていくと、
次第に自己批判にもつながっていってしまうな。
まさに…人のふり見て何とやら、だ。
気づいたでけでは役には立たないが、
気づくのが怖くて掘り下げないよりは
…明日の足しにはなるだろう。