たまたまTVで見た話だっけど・・・
歌川広重の
東海道五十三次・盗作疑惑の話題は、
その後、何人かの知人に話す機会があった。
みんな、ずいぶんと
興味津々に聞いてくれる。
何度も話すうちに・・・
ただのうんちく話にはない、
ドラマチックな変化を
聞いてる相手に感じとることができた。
盗作疑惑・・・という切り口で
話が始まると、誰もが、
広重という歴史上の偉人を
「思ったほどたいしたことはなかった人」と
半ば馬鹿にする。
私も・・・
初めてこの話を知った時にはそうだった。
ところが、
盗作者をアレンジャー、
あるいは優秀なリメイク・アーチスト
・・・と捉えてみると、
それで大成功を収めた男として、
あらためて広重を讃えたくなってくる。
最初の印象と最後の印象が変わる。
・・・そこがドラマ的。
考えてみれば・・・
例えばベートーベンやショパンが書いた曲。
遺っているのは譜面だけで、
作曲者の録音もなければ、
当時のピアノの音色も今とは違うはず。
だけど・・・
ベートーベンやショパンをはじめ、
数え切れないほどの
作曲家が書いた曲を演奏して、
有名になった音楽家は世界中にいる。
そもそも・・・
五線譜、あるいは文法という
決まったルール中で自己表現する前提にあって、
いったいどこまでが真のオリジナルなのか?
盗作がいい、ということでは決してないが、
オリジナリティにこだわって
二の足を踏んでいても何も生み出せない。
それは、ただの
ないものねだりかもしれない。
生み出したものの中にしか
・・・オリジナリティは表れてくれないし、ね。