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Episode No.702(20001125):今年も憂国忌

三島由紀夫が逝って、今日でちょうど30年になる。
生きていれば75歳・・・と、いうコトは三島は昭和元年生まれだから、今年は昭和75年ってコトかな?!

三島由紀夫の命日・・・11月25日に、このページで三島を話題を出すのも3回目になった。
取り立てて思想的な意味合いがあって書いているワケじゃないんだけど・・・
幼いながら、三島事件は妙に印象深い事件だったんでね。

最近になってまた『仮面の告白』が、フィクションではなかっとか・・・
いろいろと話題を振りまいているよね。

私も、それほど三島文学に触れているワケではないけれども・・・
『潮騒』あたりが好きかな・・・わかりやすくて。

三島本人に言わせると・・・
「もしも、経済的に余裕のない人が私の作品に触れたいと言うのなら、ぜひ『憂国』をお勧めしたい。
 『憂国』は、三島の良いところも悪いところも、すべてが詰まった作品だ」
・・・なんてコトだから、私も昔読んでみた。
確か、100ページくらいの短編だ。

そういえば、この『憂国』は三島本人による製作・監督・主演で映画化されている。
モノクロの16mmフィルムでサイレント作品。
アートシアター系で公開され、フランスの映画祭では賞ももらっているらしいけれど・・・
ATG映画の全貌にも詳細は載っていないし、もちろんビデオ化もされていない。
三島事件以降、どこかに封印されてしまった映画なので、私も観たコトはない。

原作によると、その内容は・・・
2.26事件の後、新婚であるため決起部隊に誘われなかった青年将校が新妻と共に自決する話。
2.26事件の青年将校を敬愛していた三島は、映画の中でもちろん自決シーンを演じている。

勝 新太郎主演の映画『人斬り』の中でも、ゲスト出演した三島は腹切りのシーンを演じている。
こっちの作品は今でもビデオが出ている・・・三島が自衛隊に突入する、ちょうど1年前くらいの作品。
ボディビルで鍛え上げられた三島を背中ごしに撮った自決シーンが妙に印象的だ。
ちなみに・・・
この映画のスチール撮影の際、三島が持参して使った日本刀・関孫六で、三島はリハーサル通り自決した。

さて、三島が果てた陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の旧東部方面総幹部があった一号館は・・・
昭和12=1937年に陸軍士官学校の大講堂として作られた建物。

地下には大本営の秘密基地があって、バルコニー正面の広場を挟んだ植え込みには・・・
灯籠をかたどった太い通気口が出ているのは有名な話。
終戦直後には、極東国際軍事裁判・・・いわゆる東京裁判にも使われた建物だ。

一時は、取り壊し・・・という話もあったが、現在は市ヶ谷記念館として修復されている。
今年(平成12年)の6月1日から、一般見学できるようになった。

本当は、今日のトップページを書くために、一度行ってみようと思ってたんだけど・・・
まだ行けずじまい。

見学は月曜から金曜までの平日のみだが・・・
午前1回、午後1回の見学ツアーが組まれていて、1時間45分ほど、みっちり解説してくれるようだ。

興味のある人は、防衛庁のホームページ内にある
「市ヶ谷地区見学(市ヶ谷台ツアー)のご案内」http://www.jda.go.jp/j/info/ichigaya/
にアクセスを・・・!

「七生報国」なんて書いたハチマキ巻いて行ったら・・・入れてもらえないよ、きっと。


参考資料:「防衛庁」ホームページ ほか