Presented by digitake.com

 

Episode No.539(20000519):欲の張り方

鎌倉幕府を開いた源頼朝は1199年に53歳で急死した。
脳溢血による落馬が原因とも言われているが、真相は定かではない。

カリスマ的な独裁者が急死したコトで幕府は大きく揺れた。

嫡子、頼家が二代目の座についたのは・・・。
頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、わずか7年後のコトだった。

頼朝がまとめ上げた関東の武士団と京から下った側近官僚。
この幕府を支える二大勢力が、素直に二代目頼家に従う・・・というコトはなかった。

ほどなく御家人たちは頼家の採決に反発を見せはじめ・・・。
頼朝の妻、政子の父である北条時政ら有力御家人9名と大江広元ら行政官僚4名の計13名による合議制がとられるようになる。

頼家は自分の命令に従う新たな側近づくりをして、これに対抗するが・・・時すでに遅し。
結局、頼家は伊豆・修善寺に幽閉された後、執権を握った祖父、時政に殺されてしまった。

頼朝と頼家が犯した最大の失敗は何か・・・?
それは、一族による利益の独占である。

新たな側近をつくろうとした頼家は、諸国の支配状況を調べ上げ、言うことを聞かない御家人の所領を没収して、これまで処遇の悪かった御家人たちに分けて力の均一化をはかろうとした。
その結果、新たな側近もできるはずだった。

だが、にわかづくりのその方策は、みごとに叩きつぶされ・・・。
政策の失敗は自らの立場をもなくしてしまう結果となった。

せめて自分の所領を分けようとすれば、少しは味方が現れたかも知れない。

利益は結果であって目的ではない。
まして、ひとりではなし得ない大きなプロジェクトを実行したら、利益は分配してしかるべき。
それでも一番苦労した人には一番大きな利益が残るはずだ。
そして、そのコトに対しては誰も文句を言わないだろう。

利権だけをあらそうようになってくると、誰も信用できなるなる。
それで一族を守る方へとウエイトが傾いてくるワケだが・・・。
それは、もはやよりよい仕事を進めるのとは別の次元の話になってきてしまう。
果ては頼家同様の思いをした人が、これまでにも数え切れないほどいるコトだろう。

私は幸い「おごられる」より「おごる」方が好きだ。
決して金持ちではないけれど、その方が気がずっと気が楽。

金はともかく、せめて自分の仕入れた知識も「おごる」ようにしている。
そうすると、また新しい知識も入ってくるし・・・。

結局、金も知識も・・・うまく使ってくれるところに集まりたがっているような気がする。


参考資料:「歴史おもしろ苦労話」泉 秀樹=著 三笠書房=刊

[ Back to TopBacknumberご愛読者アンケートBBS 御意見番BBS 保存版 ]