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Episode No.337(990924):カリスマを信じるか?

世の中には"カリスマ"と呼ばれる人たちが大勢いる。
若者の"カリスマ"や、業界の"カリスマ"などなと・・・。

"カリスマ(Charisma)"とは、ギリシア語で「神の賜物たまもの」という意味。
それが転じて「超人間的・非日常的な、資質・能力。英雄・預言者・教祖などに見られる、民衆をひきつけ心酔させる力」を持つ人を指すようになった。

"カリスマ"と呼ばれる人たちの多くは、作られた"カリスマ"である。
現代の"カリスマ"を見れば、たいていは商売のために作られた・・・。

例えば歌手。
宇多田ヒカルは確かに才能あふれる"カリスマ"性を持ち合わせた歌手であるが、その"カリスマ"性を世に広めたのは間違いなくレコード会社だ。

世の中の流れやタイミングの問題も大きくあるだろうが、実際、宇多田ヒカルはソロデビューする以前に、親子でグループを作り、CDまで出していた。
その時、自主制作に近いカタチで作られたCDは、わずか1,200枚しか売れなかったという。

何も宇多田ヒカルがニセ者だ・・・というわけではない。
どんないきさつで、その曲を聴いたとしても、聴いた人がイイと思えばそれでいい。
ただし、みんながイイと言っているから、イイように思わされる場合も少なくない・・・というコトだ。

秀吉の時代。
圧制にたえかねて農民が起こした"島原の乱"は、いわばクーデターだ。
反乱をおこす農民たちの気持ちをまとめるのに一役買ったのが、天草四郎である。

四郎の手からはスズメが逃げない・・・、四郎は海の上を歩くことができる・・・。
そんなウワサを農民たちに流して、顔立ちも良く、いかにも奇跡をおこしそうな四郎を"カリスマ"に仕立てたのは、実は四郎の父親とその仲間たちだったらしい。

奇跡を信じたい気持ちはわかる。
いかに自由を欲しても人間は所詮弱いモノ。

本来、個人個人がおのおの自分を信じる強い力を身につけていれば、"カリスマ"も"宗教"もいらないはずだ。
しかし現実はそうではない。
本当は自由でいるより、何かにすがって不自由でいることの方が、生きるには楽な場合も多い。

せめて、本物を見抜くだけの目を養うこと・・・これが転ばぬ先の杖。
結局、自由とは不自由さを選ぶ権利でしかない。

信じられる自分を作るコトが・・・一番かな、やっぱり。


参考資料:「21世紀こども人物館」小学館=刊 ほか

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