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Episode No.110(990102):鎌倉のジュリー

鎌倉・鶴岡八幡宮は、今頃、初詣の人でごった返していることだろう。

前にも話した元・理容師で現在は鶴岡八幡宮の境内でリンゴ飴を売っているヤツの情報によれば、普段の日は一日の売り上げが10万そこそこ。人出が多い時には50万を越えることもあるという。
1本100円の飴を50万売るとなると5,000本!! 営業は朝9時頃から午後3時くらいまでだから、昼休みを計算に入れなくても1時間に830本以上。1分間に約14本は売りさばいている計算になる。

稼ぎもバカにならないが、年末年始は31日の朝から1日の夜まで、ぶっ続けで働くというから、決して楽ではない。

鎌倉は幕府が開かれる以前は"由比の里"と呼ばれていた。
由比ヶ浜という地名が現在も残っているが、順番から言えば由比ヶ浜の方が先で、鎌倉という地名の方が後から付けられたことになる。

源頼朝が幕府を開く以前の鎌倉は、一寒村だったとも言われているが、実はそうではなく武器の原料となる砂鉄を採掘するための拠点であったという説もある。

鎌倉という地名の由来についても諸説あるが、藤原鎌足がこの地を訪れた際に霊夢を感じて、この地に持っていた鎌を埋めたから・・・という話も残っている。
その鎌が埋められた山が鶴岡八幡宮がある山だとか。

全国に"鎌"、"釜"、"鍋"を当てた地名は数多いが、そうした土地は一般的に鉄の精錬に関係がある場所だった。
また、こうした土地には「大蛇が人を食う」だとか「たたりがある」という話も多く残っていて、これは貴重な鉱物資源の採れる場所に一般人を近づけないために、ワザと流した噂。

そのうちのひとつがカッパ伝説。
その正体は、川砂鉄の採取者であるというのが現在は、ほぼ定説となってるらしい。

ところで、鶴岡八幡宮から車道の真ん中にのびた遊歩道の入口の左右には、大きな獅子が鎮座している。
向かって右の獅子は口を開けたまま、ややアゴを引いた感じで、正面からよく見ると誰かに似ている。

・・・カサブランカダンディを歌う、沢田研二だ!!


参考資料:「鎌倉史の謎」相原清次=著 彩流社=刊 ほか

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