弱いより強い方がいいと思う。
ただ…、
強い者が正しくて、
弱い者が間違っているとは思わない。
だって、もしそうだとしたら…
大人は正しくて、
子供は間違っている
…ということになってしまうだろ?
正しいものと、
そうでないものを分けたがるのは
…何のため?
不都合な記憶を
強引にかき消すのと同様、
理解できないものの存在や
不都合な現実を否定することが
…弱さだと思う。
そういう弱さが目に付くことは確かだ。
弱き者は目をつぶり、時として嘘をつく。
現実社会をまだ知らず、
夢のような理想だけを思い描いている子供は
…だから弱い。
大人になっても、
そんな子供のふりをしている者は
…もっと弱いし、その上、だらしない。
だらしがない者は間違っているから
…弱い者=間違っているように見える。
ただ、ここで忘れはならないのは…
弱くても、間違っていたとしても、
そういうものが存在する、ということだ。
強さとは、まず現実を認めることだ。
認めた上で対処できるのが、強さから出た力。
赤ん坊でさえ、
決して弱さには甘んじていない。
だから大声で泣き叫ぶ。
弱さに甘んじている者は
ドブネズミやゴキブリが、
暗く、湿気た、腐敗臭のする場所を好むように
…醜く感じる。
さあ、自分の生きたい場所は決まったか?
そして自分は、
その場所にふさわしい努力をしているか?