昭和19年…というから、
日本は太平洋戦争の真っ直中。
その年の12月7日、
志摩半島南東沖を震源とした
「東南海地震」と呼ばれる大地震が発生した。
三重県、愛知県、静岡県を中心に
1,223名の死者・行方不明者を出したにもかかわらず、
その事実を知る人は意外にも少ない。
戦時統制下、
国民に不安を感じさせる報道は規制されていた上、
翌12月8日は開戦記念日だったため、
士気をあおる報道の方が優先されたのだ。
震災で亡くなった多くは…
学徒動員により軍需工場で働かされていた
少年少女たち。
とくに飛行機工場は柱が少ないために、
簡単に倒壊してしまったという。
さらに一ヶ月後…再び地震が起きた。
先の地震できしんでいた建物は、
ひとたまりもなく崩れ、
寺院に疎開していた多くの子供たちが押しつぶされた。
二度目の地震による死者は2,000名にのぼる。
全部で3,000名以上もの命が失われた震災が、
報道規制によって闇に葬られてから60年以上。
最近になってようやく、
その全貌が知られるようになったらしい。
報じられた社会が…世の中のすべてじゃないんだよな。
本当に地球は丸いのか???