Episode No.401(991208):トラ・トラ・トラ
今から58年前の今日、1941年12月8日・・・太平洋戦争が勃発した。
日本時間、午前3時。
ラジオでは日本軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃した勇士を声高らかに伝え、日本は人類はじまって以来最悪の歴史へとつき進むことになる。
高度成長期に誕生した私は、もちろん本物の戦争を知らない。
私の両親にしても、幼い頃、戦火を受けた経験はあるものの、戦地に行って殺し合いをしたというまでの経験は持ち合わせてない。
テレビをつければ、いつでものんびりとヒマつぶしの番組を見るコトができる時代に生まれた私は、ウチにあるパソコンで世界中の情報を苦もなく知るコトができる時代に生まれた子供たちに、どうやって戦争の悲惨さを伝えていけばいいのだろうか・・・?
以前、出張先の九州をレンタカーを借りて移動したコトがある。
何の事前情報も知らずに通りかかった町は、一種独特の雰囲気に包まれていた。
開けはなった窓からは、どことなく線香臭いニオイが立ちこめてくる。
道の両脇には、行けども行けども地蔵が建ち並ぶ。
ちょうど昼飯時になって、食べ物屋のある場所へ車を止めた。
広い駐車場には、何台もの観光バスも止まっていた。
特に駅があるワケでもないが・・・そこが町の中心と言っていい。
鹿児島県川辺郡知覧町・・・そこは特攻隊の基地があったコトで知られる町だった。
食後、特攻平和会館をのぞいた。
まず目に入ったのは、燃え上がる戦闘機の中から気を失った若い特攻隊員に手をのばす天女たちが描かれた大きな絵画。
日本に現存する唯一の特攻機"飛燕"を中心に、壁面にはこの地から出撃して戦死を遂げた若者たちの遺影がところ狭しと掲げられている。
・・・その数、1,035柱。
戦争の悲劇は何も特攻隊だけではない。
しかし、何の予備知識もなくこの地に足を踏み入れた戦後生まれの私でさえ、胸につまる思いはあった。
銀座や新宿、上野の街に行っても、ここが戦時で焼け野原になったコトがあるなんて・・・知識としては知っていても、とても実感がわくモノではない。
しかし、知覧の町にとっては今なお、毎日が終戦記念日のようだった。
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