「そもそも、助け合いなどということは
貧乏人のすることで、
その結果生まれる裏切りや背信行為も、
金持ちの世界とはまるで違います。
金持ちの裏切りは、
助け合いなどというバカな動機からは
決して起こりません」
…『借金の申し込み』
手紙、いや今であれば
メールを打ったのに返事が来なかったりすると、
それだけで
相手から裏切られたような気分になったり、
時には怒りさえ感じてしまう…よ、ね。
だけど、
相手から頼まれたのならいざ知らず、
そもそもメールを打ったのは
自分の都合による一方的な思いつきであって、
決して相手が望んでいることではない。
それが、いかに「相手のため」を思った
有効な情報であっても、
そう考えているのは自分だけかも知れない。
親切は相手のためではなく、
自分の気持ちを満足させようとしているだけ
…ということが間々ある。
カトリックの作家・曾野綾子が
教会に多額の寄付をしようとして、
神父に遠慮されたエピソードを思い出す。
最近、或る男にメールを送ったのだが、
その返信が珍しく来ない。
苛立ちを感じるより先に心配を感じた。
そこで彼との間に
確かに豊かな友情が存在することを確信できた。