盆休み…
楽しかった旅行から戻ると、
また、あわただしい日常がはじまる。
旅行にまで行かなくても…
日帰りでディズニーランドに行ったり、
あるいは自宅で
のんびりとDVDの映画を観たり…
はたまた、恋人と時を忘れて過ごす。
幸福感を覚える快楽の時、というのは、
たいてい日常を忘れられる場所にある。
日常の仕事の中にだって、
爽快感もあれば、
達成感を感じることもあるから
決して幸福感がないことはない。
だけど…快楽はない、かな。
快楽というのは、
金に例えて言ってみりゃあ、
金を稼ぐ時じゃなくて、
もっばらつかう時に感じるものだからなぁ…。
稼いでつかう、といったリズムは、
あたかも自然の摂理のようでいて、
実は倫理観で制御された
無理強いされたもののようにも感じるんだよ、ね。
だってそうだろう…?
本来メシを食う時にだって快楽はあるし、
快便だってあるんだから、さ。
食う時の楽しみを理屈で押さえ込むのは、
どこか不自然さを覚えないか?
仕事のうえで…
「忘れた」なんて言い訳を
簡単にしないことが真面目さだとは思うけど、
快楽が忘却であるとすれば…
日常に忘却を組み入れられた方が、
より自然には近くて、
生身には負担が少ない気もする。
雨が降っていることに気づかなくても…
日傘をさし続けて
マイペースで歩いてたおばあちゃんが
長生きしてる理由は、ここにあるのかも、ね。